備前焼千年の歴史を前へ進める、若き陶芸家たち。
備前焼に魅せられた、若き19名。
備前焼は、瀬戸や常滑、丹波、越前、信楽とともに六古窯の一つに数えられます。釉薬を使わない備前焼のルーツは古墳時代の須恵器にあり、平安時代に生活用器が生産されたのが始まりと言われています。以来、千年もの時を超え備前焼は無釉焼締(むゆうやきしめ)の伝統を守ってきました。人間国宝を5人も輩出しているところも、備前焼の長い歴史と伝統を感じさせます。
そして、その歴史と伝統を支え、さらに前へと推し進めるのが個性が光る若手の陶芸家たちです。備前焼の産地組合「協同組合岡山県備前焼陶友会」には、45歳までの会員が所属する「青年部」があります。現在、19名の若手作家とともに備前焼の魅力を、前後編に分けてご紹介します。(記事冒頭の写真は「伊部南大窯跡」に集まった青年部のみなさん)
土と炎の共演、「窯変」の妙。
備前焼を表現する時に「土と炎の芸術」という表現をよく聞きます。一般的に陶器は色とりどりの釉薬や、絵付けなどで土の表面に彩りを添えます。しかし、備前焼は無釉の焼き物。もう一度、青年部のみなさんの作品を見ていただくと、土を感じる赤い色の他にも、青、黄色、グレイ、白など様々な色があることが分かります。また、丸い模様や線上の模様、さらにまるで釉薬を流したかのような景色もあります。これが、1200℃を超える焼成のさなか、窯の中で偶然と必然により生み出される窯変です。代表的な窯変を少しご紹介します。
備前焼のルーツ、須恵器。
須恵器とは古墳時代の末期に、朝鮮半島から伝わった焼き物です。千度以上の高温で焼いた初めての焼き物で、焼き肌には、焼成中に降りかかった灰が高温で溶けて作品に付き自然釉となったものや、粘土に含まれた鉄分などの作用で様々な景色、窯変が現れています。青年部の方が資料として所蔵する須恵器を見せていただくと、蜻蛉の羽根のような薄い緑色をした自然釉が。素朴な美しさを感じます。この素朴な美しさや特徴が備前焼に受け継がれているのです。
1200℃を超える高温で焼成。
登り窯とは、斜面に焼成室が連なった連房式の窯のことを言います。備前焼の多くは登り窯で、約2週間もの時間をかけ1200℃を超える高温の炎の中で焼成されます。備前焼作家のそれぞれの窯には独自の工夫があり、作品づくりに大きな影響を与えます。窯焚きは、一年に1~2回。簡単に工程を説明すると、土づくり、成形、窯詰めを経て窯焚き、窯出しとなります。ちょうど窯詰め作業をしていた青年部の方の登り窯を訪ね、様子を見せていただきました。一度に多数の作品を焼くので、窯詰め作業は人手が必要。アシスタントを頼み、作家の意図をくんだ仕込み(緋襷をここに入れるために藁をここに巻くといった作業)を手伝ってもらうこともあります。この日も、アシスタントの方が忙しく手を動かしていました。
美しいだけでなく、機能がある。
備前焼の魅力は、窯変が見せる多彩な表情だけではなく、用の美とも言える実用性にもあります。備前には「備前スリバチ投げても割れぬ」「備前みずがめ水がくさらん」などのうたい文句がありますが、堅牢性や焼き締めならではの特性が、生活に根ざす器として重宝されてきたようです。また、使ううちに落ち着いた風合いになっていくのも、愛着を育むとされています。青年部の方の器をお借りして並べてみましたが、未使用の皿と使っている皿、微妙な変化が伝わるでしょうか。
若手を育てる、備前陶芸センター。
備前焼のふる里、伊部の街の西側には、備前焼の技術を伝承する「備前陶芸センター」があります。現在は備前焼陶友会が運営にあたり、講師は備前焼の伝統工芸士が務め基礎知識の解説から実技指導まで1年をかけて行います。入所に関しては門戸が広く、これまで多くの人材を備前焼に限らず輩出してきました。備前焼陶友会青年部にも「備前陶芸センター」の修了生が多くいます。施設を見学した日は、研修生のほか、修了生の姿もありました。