求道者たち vol.10
備前焼 2011/11/1

備前焼の今と未来を見据える、作陶家

備前焼や師匠との
出会いが、人生の転機

【経歴】備前焼作家・大石橋宏樹さん。1973年、東京都武蔵野市生まれ。吉備高原学園で備前焼と出会う。大学卒業後、藤原家に入門。2007年の独立後、作家として活躍する一方、高校にて陶芸の講師を勤める。

 千年もの歴史を有する「備前焼」。他の陶器などとは異なり、釉薬や絵付けを施さず高温で焼き締めるため生まれる、土本来の素朴な味「土味」が魅力です。また、炎や薪の灰などが、窯の中で偶然起こす変化「窯変(ようへん)」によってつくられる模様も特色。たとえば、赤褐色の筋模様「火襷(ひだすき)」、胡麻を散りばめたような模様の「胡麻」など、その模様は多種多様。さらに、窯のどの位置に陶器を配置するか、くわえて窯の中の酸素の量で模様の濃淡も異なるなど、千差万別な焼きあがりとなるところにも人を惹き付ける面白さがあります。
 こうした「備前焼」の魅力に惹かれ、作家となったのが今回取材させていただいた大石橋さん。備前焼と出会ったのは、高校での授業だったそうです。「人生で初めての経験でした。あれだけ何かに没頭したのは。当時、寮生活だったのですが、自分の手で何かを生み出すことの楽しさに魅了され、時間を忘れて門限まで制作に更けていました。陶芸に出会うまでは、これといってやりたい仕事がなかったのですが、陶芸に出会ってからは自然と陶芸作家になりたいと思ったんです。特に美術が得意というわけではなかったんですけどね」。
 また、備前焼作家として一時代を築いた人間国宝であり、のちの師匠となる(故)藤原雄氏と高校の授業で出会ったことも大石橋さんの人生を左右するものだったとか。「高校卒業後、すぐに弟子入りしようと訪ねたのが、藤原家でした。その時におっしゃられたのが『大学で様々なことを見聞きし、吸収してからでも、弟子入りするのは遅くはない。それでもという時は、いつでもおいで』という言葉でした。その言葉を受けて、私は大学へ進学し、大学在学中は、夏休みなどを利用して藤原家の窯焚きなどを勉強させていただきました。大学卒業と同時に藤原家に入門させていただき、雄先生、雄先生のご長男である藤原和先生に師事。今思うと、大学で色々な面で自分の可能性を試したうえで弟子入りしたことで、迷うことなく修行に打ち込めたと思います」。

弟子入り、そして独立。
学んだのは、陶芸作家としての生き方

 「弟子入り。これには、師匠のもとへと通う『外弟子』と師匠のもとに住み込む『内弟子』の二通りがあります。私は内弟子だったのですが、技術面のみだけではなく、先生と寝食を共にすることで、陶芸作家としてのスピリット、そして生き方そのものを学びました。礼節を重んじる先生の人柄から得るものはとても大きかったです。弟子入り後は、犬の散歩、食器の片付けを経て、陶土づくり、そして先生がつくる作品に応じた量の陶土を運ぶ土ごしらえを順々に任されました。この段階ではじめて先生の工房に入ることができ、仕事風景を見ることができたのですが、とても神聖な空気が流れていたことを今でも覚えています。土ごしらえの後は、先生の助手として個展などに同行しながら、お客様とのかかわり合い方を学び、独立。弟子入りから独立まで10年という月日を費やしましたが、振り返ってみればあっという間です。一般的な会社に就職しても、役職がつくまでは10年位かかると思えば、同じ道のりではないでしょうか」。

備前焼の窯の象徴である煉瓦づくりの四角い煙突が数多く見られる備前焼の里・備前市に位置する、大石橋さんの工房。周辺は緑に囲まれており、清々しい風が吹抜けます。
大石橋さんが築いた地上式登窯。

藤原家では、作陶を家業と考えていることにならい、窯詰めなども家族、スタッフと共に行います。手前で作品を渡しているのが真理子夫人。

 独立から1年後の2008年に、自らの工房と共に地上式登窯を築いた大石橋さん。その過程では、さまざまな困難もあったようです。「弟子入り中は、自らの作品を焼くことは無く、窯焚きも見て考えて学ぶという形でしたので、先輩の窯を焚かせて頂いたりしながら経験を重ねていき、さまざまなデータを集積していきました」。
 集積したデータを結集した窯。そこには、意図して窯変を生むための工夫が施されていました。「通常は窯の真ん中などに間仕切り(素穴)があります。そこには火と灰が密集するため、焼き上がり後の変化が多い作品が生まれるのです。しかし、私の窯は、作品の形・大きさ・詰め方によって、間仕切りを自由に変えられるようにしてあります。窯焚きの最中は、人為ではなく天為とも思えることも多々ありますが、それすら手の内に入れる…出来ているかは別として、プロとしてそうありたいと思っています」。

工房内には、これまでに制作した個性あふれる作品が多数並べられています。中には、若かりし頃に制作した作品も。

備前焼の今と未来を見据える、作陶家

産業として誇りをもって存続していくため
次世代の育つ環境を整えたい

 伝統を重んじながら、されど伝統に縛られるのではなく、新しい視点からアプローチした作品作りにも取り組む大石橋さん。備前焼作家として目指すところをうかがいました。「土味・形・焼け。備前焼は、この3つの調和が欠かせないと考えています。また、この調和がとれた時こそ、誰がいつの時代に見ても美しいと感じられる『普遍の美』が生まれると思うのです。ただ、独立4年目ということで、まだまだ自らの個性を強調した作品づくりが多いというのが現状。師匠もそんな時期があったと聞いたことがあるので、陶芸作家が通る道なのかも知れません。また、年を重ねて立場も変われば、作品にも影響が出ると思います。人生そのものが、作品に投影される。それもモノづくりの本質なのでしょう」。
 2009年には、岡山南ロータリークラブ「職業奉仕賞」受賞、天満屋岡山店美術ギャラリーにて初個展を開催するなど、作家としての活動も多忙な大石橋さん。一方で、母校である吉備高原学園高等学校の陶芸コースの非常勤講師、そして学校法人 啓明学院 中・高校陶芸講師も勤めています。「自らの作品に評価を下すには、客観的な視点は欠かせません。その点、生徒達の作品を評価する視点が、自作の作品を評価する際の判断基準の糧にもなっています」。

陶土を紐状にし、積み上げながら形をつくる「紐つくり」と呼ばれる技法で「扁壺(へんこ)」を制作する大石橋さん。

制作中の「扁壺(へんこ)」は、大石橋さんの胴回りの倍以上にも達する大作です。

 こうした、貴重な経験を活かした作品作りだけでなく、作品づくりを継続できる環境づくりにも携わっていきたいという思いも強くお持ちでした。「いずれは弟子をとり、技術的なことはもちろん、マネジメントの部分も伝えて行きたい。新しい息吹が吹かないと産業として成り立たないので、未来の担い手が作陶をはじめられる環境、さらには作陶を継続できる環境づくりができればうれしいですね」と大石橋さん。  備前焼作家として、そして未来の陶芸作家を育成する講師として、さらなる伝統産業の活性化を目指す姿に、備前焼の明日は明るいと感じました。

たたらづくりと呼ばれる成形技法を用いた大石橋さん制作の「擂座(るいざ)壺」。藤原備前の初代である藤原啓先生が得意とした技法・作品だったそうです。陶土に空気を十分に含ませるため、真空をかけずに土を練り、それを筒状にして膨らませます。その後、土の味わいを損なわないよう外側には触れずに内側から成形。完成品は、見た目にはもちろんのこと、触れるとより土の味わいを感じられます。

人の体のフォルムをモチーフとした徳利は、今にも動き出しそうです。「作品が人と人を結ぶ話のタネとなれば、うれしいですね」と大石橋さん。

陶芸コースの講師として、生徒に指導する大石橋さん。


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