播州毛鉤の歴史
農業の副業から職人のワザとなり
全国で9割以上を生産
播州毛鉤の発祥は、江戸時代中期頃。毛鉤自体は、江戸時代前期に「蝿がしら」を使って鮎釣りをしていた京都を中心に発達していました。その後、江戸をはじめとする各地へ広がる中、京街道の要所である播州地方にも行商人から技法が伝わったといわれています。最初は農家の副業として生産されていましたが、技術向上に伴い、優れた釣果(ちょうか)をもたらすようになりました。明治時代中期には、水産博覧会などで数々の賞を受賞。その高い品質は多くの釣り師を魅了し、播州毛鉤の名は全国に広まりました。現在では、漁業用釣り針、レジャー用釣り針・毛鉤が、共に全国生産額の9割以上を生産するほど、発展しています。
播州毛鉤の魅力
千種類以上の毛鉤と
1センチに込められた擬餌針美
播州毛鉤は釣り道具としての価値だけでなく、わずか1センチ足らずの鉤に数種類の鳥の羽根を絹糸で巻き付ける幻想的なデザインも魅力です。魚の種類と季節、天候、水深、水質など、考えられる自然環境の状況に合わせて創るため、毛鉤の種類は1000以上。今にも動き出しそうな水生昆虫から美しい光沢を放つ毛鉤まで、職人の努力と創意工夫が息づいています。その美しい毛鉤をつくろうという意識が、芸術品へと昇華させているのです。播州毛鉤の多くは、ドブ釣りと呼ばれる鮎釣りに使用。また、色彩や優れた技法を活かしたイヤリングやストラップといった小物も作られています。
播州毛鉤ができるまで
手先を研ぎ澄まし、
1センチの毛鉤をつくる12工程
機械が発達した現代でも、播州毛鉤は手作りで行います。まず、漆と光明丹(こうみょうたん/赤色の顔料)を畳針で練り合わせたものを絵筆の先に付けて、鉤の胴(約5ミリ)の部分に塗り付けます。そして、金箔張付け、先漆玉付け、再び金箔張付け、しけ糸付け、テグス付け、先巻き、ツノ付け、胴巻き、ミノ毛付け、漆玉付け、金箔張付けなど、わずか1センチ程度の毛鉤の製造に、計12工程にもおよぶ作業が必要なのです。そのため、10年以上の経験が必要だといわれています。職人の全神経を手先に集中して完成する毛鉤は、あまりの美しさにディスプレイ用に購入する方がいるほど。まさに、実用性を備えた美術品だといえます。
主な産地・拠点 | 兵庫県 |
このワザの職業 | 毛鉤職人 |
ここでワザを発揮 | 毛鉤 |
もっと知りたい | 播州釣針協同組合 |