山口県 赤間硯

 赤間硯の歴史

長州藩の名産として重宝され、
明治頃から工芸品として本格化

赤間硯赤間硯は、古くは鎌倉時代の初めに鶴岡八幡宮に奉納されたという記録が残っています。毛利氏が藩を治めていた時代には、長州藩の名産として重宝され、原料の石が採れる山は一般に入山を禁じられていました。参勤交代の遣い物(贈り物、進物)等として硯が必要になると、藩主の命令があってはじめて採掘が許されるというほど。そんな事情から、赤間硯は簡単に手に入れることができない特産品として知られていました。時代が下り、江戸時代の中期になると赤間石は下関に出荷され、硯に加工されて各地で販売されるようになったといわれています。現在、日本の硯の三代産地の一つである山口県の楠町。ここで硯作りが本格化したのは明治の初め頃。この地で硯作りを始めた職人によって工芸職として広がり、今では赤間硯の里といわれほどになりました。

 赤間硯の魅力

書道具を超えた優美さ。
精緻な彫刻は赤間硯独特の意匠

赤間硯硯(すずり)は書をたしなむ人にとって「文房四宝」と呼ばれ、大切な道具の一つ。なかでも赤間石の硯は良い墨汁が得られるための条件である、「鋒鋩(ほうぼう/硯の表面にあるミクロのやすりの目)」がみっしりと立っているので、よく墨を磨き、墨の発色が良く、早く墨がすれ、さらっとのびの良い墨汁が得られます。またその石肌は、褐色のチョコレートにも似て柔らかく滑らか。緻密で石眼や美しい文様があり、その優美さは一言で書道具として片付けられない魅力を持っています。きめ細かく適度な粘りがある石質は精緻な彫刻にも向き、赤間硯だからこそできる美しい意匠として知られています。

 赤間硯ができるまで

選び抜かれた石に命を吹き込む。
100年以上受け継がれる匠の技

赤間硯ができるまで選りすぐられたわずかな石が、匠の技によって硯として命を吹き込まれます。硯作りはまず、それに適した石を採取することから。輝緑凝灰石(きりょくぎかいせき)と呼ばれる原石は厚さ1メートルほどの地層になっているため、その層の方向性を見定めて採掘しなければなりません。また採掘した石が、硯に適しているかいないかの見きわめも難しく、せっかく切り出しても無駄になる石も多いといいます。そうして採石した原石は選別して「削る(縁立て)」・「彫る」・「磨く」・「仕上げ」等、10数工程を経て硯となります。この作業工程や技術、技法は、100年を経た現在もほとんど変わらず、大小様々な「のみ」を使い、師匠や親から受け継がれた技術によって彫られます。石質の選別・彫刻などの技術を修得するには、普通で10年は必要だといわれています。

主な産地・拠点 山口県
このワザの職業 墨づくり職人 墨型彫刻師 硯職人
ここでワザを発揮
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