八女提灯の歴史
江戸時代から受け継がれる。
素朴なデザインから優雅な作風に
始まりは1813年頃の江戸時代後期。福島町(八女市)に住む荒巻文右衛門(あらまきぶんえもん)が、山茶花などの素朴なデザインで場提灯を制作したのが起源だといわれています。場提灯は墓地等で使用され、人気を博したそうです。その40年後、吉永太平(たへい)が提灯の竹を細くして螺旋状に巻く「一条螺旋」を開発。透けるほど薄い和紙を使うことで明るさを高め、表面には山水や花鳥を描いて、気品漂う涼み提灯を生み出したのです。さらに、太平の弟・吉永伊平(いへい)が、早描きの描画法を応用して、スピーディーな生産とコストダウンを実現。つまり、大量生産体制を築いたのでした。明治以降、海外への販路も開き、八女提灯の名声を得たのです。現在では、盆提灯をはじめ、意匠を必要とする提灯を作っています。
八女提灯の魅力
盆提灯の生産量は日本一。
多様な提灯が世を明るく照らす
「一条螺旋」の伝統を受け継ぐ伝統技法や、近代的な提灯への挑戦の双方が見られるのが特徴です。細かく分けると三千種類ともいわれ、多種多様な提灯を製造。中でも、ご先祖を供養する際に飾る盆提灯は、日本一の生産量を誇ります。その装飾は、風流でいて優雅。絵付けの工程では、下描きをせず、いきなり絵の具で描きます。繊細のワザで描かれた提灯には、職人の魂が込められているのです。盆提灯が飾られるのは、一年の内わずか。数日間の供養のために、職人は一年をかけて作り続けています。盆提灯のほかにも、インテリア用・祭り用も制作。面白い物に、ハロウィン用のパンプキン提灯もあります。時代に合わせて作る提灯と、伝統的な手法の提灯。どちらにも共通すのは、「人々の心を明るく照らしている」ということなのかもしれません。
八女提灯ができるまで
多くの職人が一つの提灯を創出。
相互に研磨し合い、質を高める
八女提灯は、手板や加輪(がわ)など木製の部品、火袋など、ひとつひとつのパーツをそれぞれの職人がつくり、提灯屋で組み立てられる完全分業制です。大きく分けると、火をともす火袋(ひぶくろ)の製作、提灯を彩る絵付け、木地づくり、漆の塗り、蒔絵の製作、仕上げの6つ。特に提灯の顔となる絵付けは、下描きを1際せずに直接描きます。職人の頭の中にある構図を忠実に表現する姿は、まさに圧巻。他にも、木の特性を見極めて木製の部材を加工する木地職人など、八女提灯には様々な職人の手が息づいているのです。
主な産地・拠点 | 福岡県 |
このワザの職業 | 提灯づくり職人 |
ここでワザを発揮 | 盆提灯、祭礼提灯、献灯提灯、装飾提灯 |
もっと知りたい | 八女伝統工芸館 |