福山琴の歴史
歌謡、音曲など芸事が盛んな
江戸時代に誕生した福山琴
かつての「若い女性のたしなみ」といえば、お茶や生け花、裁縫とともに琴を習うのが一般的でした。その始まりは江戸初期、福山城が築かれた頃といわれています。当時、江戸の城下町では武士や町人の子女らによる芸事が流行。福山においても歌謡、音曲が盛んに行われていました。幕末から明治にかけては秀れた琴の演奏家が生まれ、なかでも江戸の後期の葛原勾当(くずはらこうとう)が備後・備中で活躍した影響は大きく、福山を中心として琴が生産される基礎ができました。誰もが一度は耳にしたことがある「春の海」で有名な箏曲家、宮城道雄の父は福山・鞆の浦出身で、この曲の舞台は、彼が少年のころによく訪れた鞆の浦(とものうら)であるといわれています。
福山琴の魅力
優雅で繊細な音色が魅力。
六尺に施された精巧な細工
お正月にどこからともなく聞こえてくる琴の名曲「春の海」。優雅で繊細、時にダイナミックな琴の音色は日本人の心によく馴染みます。琴の魅力は音色だけでなく、六尺(1メートル82センチ)という大きさと、そこに施された美しい装飾。最高級の桐乾燥材が使用され、精巧な細工が施される等、手作りの良さが随所にあふれています。優れた音色、甲の木目の美しさ、装飾の華麗さ。経験豊かな琴職人の手作り技術によって生まれる福山琴。数ある伝統的工芸品の中でも楽器類で指定されているのは、福山琴のみということからも、よりその意匠の素晴らしさがうかがえます。
福山琴ができるまで
熟練の職人が伝統的な
装飾技法を駆使して作る
福山琴の製作工程は、大きく分けて5つ。すべて経験豊かな職人により製材、乾燥、甲造(こうづくり)、装飾、仕上げを経て作られます。まず桐の丸太材を年輪や、曲がり具合、節の有無などからよく吟味したものに、最適な製材方法を決める「墨付け」と呼ばれる作業からはじまり、屋外の乾燥場で1年~3年天然乾燥を行う乾燥工程。そして刳(く)り、彫り、板付け、焼き、磨きの各工程に分けられる「甲造工程」、伝統的な装飾技法を駆使して美しい琴を作る「飾り付け」作業、最後に金具の取り付け、音域のレベル調整を行い最終検査を経て福山琴は完成します。
主な産地・拠点 | 広島県 |
このワザの職業 | 蒔絵師 象嵌師 |
ここでワザを発揮 | 琴 |
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