静岡県 駿河竹千筋細工

 駿河竹千筋細工の歴史

徳川家康が鷹狩りの餌箱を
竹ひごで作らせたのがはじまりとも

駿河竹千筋細工弥生時代の遺跡「登呂遺跡」から、竹製のザルも発見されている静岡の地で、「駿河竹千筋細工」が始まったのは江戸時代初期のこと。徳川家康が、駿府城に大御所として隠居していた際に、鷹狩りの餌箱を竹ひごで作らせたことが関係しているとも言われています。その後、天保11年(1840)頃、三河国(現在の愛知県東部)の岡崎藩士「菅沼一我」が静岡に立ち寄った際、宿泊した「はなや」の息子「清水猪兵衛」に、竹細工の技法を伝えました。以降、「清水猪兵衛」は弟子を育てる一方で、自らも今までにないほど繊細な虫籠や菓子器をつくり、広めて行きました。「駿河竹千筋細工」として精巧な技術が用いられるようになったのは1840年ごろから。明治6年(1873年)には「ウィーン国際博覧会」にて日本の特産品として出品され、好評を博しました。それ以来、日本を代表する輸出品として、海外からの脚光を浴び、今日まで発展を続けています。

 駿河竹千筋細工の魅力

現代的な家にも合うインテリア性。
時と共に風格ある色合いに変化

駿河竹千筋細工「駿河竹千筋細工」は、他の産地と違い「千筋ひご」と呼ばれる、細く丸く削った竹ひごをしなやかに曲げ、竹の輪に組み込んでゆくので、完成した品を手にすると、丸ひごの持つあたたかく柔らかい肌ざわりを感じることができます。また、花器・菓子器・手提げ・虫篭・灯り・屏風・しおりなどといった生活に根ざした品から、風鈴などの季節を楽しむ品まで豊富に揃い、そのどれもが高いインテリア性を持つため、現代的な住居にあってもマッチ。一方で、使うほどに侘び・寂びのただよう、竹特有の風格ある経年変化も一つの楽しみといえます。

 駿河竹千筋細工ができるまで

丸い竹ひごを本体にさし、
継手という独特の技法で組む

駿河竹千筋細工ができるまで駿河竹千筋細工の特徴は細く丸い竹ひご作りにあります。まずは、このひごを作ります。
ものさしで寸法をはかりながら鋸(のこぎり)で竹を切り、竹の皮を削ったのち、なたで必要な寸法に割っていきます。
つぎに「せん台」という道具で厚みを決め、二本の刃をたて細かい切り込みをいれる「小割り」で、細かい切込みを入れた後、手で左右に曲げながら竹を裂きます。
裂いた竹をさらに、鉄板の穴に通して丸い竹ひごを作ります。穴は、太い物から細い物まであり、荒引き、中引き、仕上げ引きというように段々と細い穴に通すことで、きれいな丸ひごに仕上げていきます。
ひごを通す枠も竹で作ります。ひご作りと同様にせん台で厚みを決めた後、ひごを通す場所に印を付けておきます。
印をつけた竹を熱して、輪や四角に曲げて冷まします。曲げた後を斜めに切って接着。この継ぎ手がわからないようにするのも腕の見せ所。
輪や四角の枠の印のところに穴を開け、竹ひごを通して組み立てていきます。
数十本単位でまとめた竹ひごを熱したコテに当てながら曲げ、冷ました後に、枠に通すこともあり、この竹ひごの曲げによって様々な意匠を凝らした竹細工が出来上がるのです。

主な産地・拠点 静岡県
このワザの職業 竹細工職人
ここでワザを発揮 花器、盛籠、茶托(ちゃたく)、盛器、盆、虫籠、菓子器
もっと知りたい 静岡竹工芸協同組合
駿府匠塾