鹿児島県 薩摩焼

 薩摩焼の歴史

李朝の陶工により伝承。
異なる作風の系統が独自に発展

薩摩焼「薩摩焼」の歴史は、文禄・慶長の役の頃、薩摩藩藩主・島津義弘が、高度な作陶技術を持つ李朝の陶工たちを朝鮮から連れて帰ったことに始まります。以来、藩内各地に窯が開かれました。それらの窯は、現在も残る苗代川系、龍門司系、竪野系の3窯場などを含む、5系統に分かれ、全て薩摩焼と呼びます。また、薩摩焼は特徴の違いから「白薩摩」と「黒薩摩」に大別できます。「白薩摩」は藩窯の竪野系と苗代川系で焼かれ、藩や島津家だけが使用した、透明感のある淡黄色や、鮮やかな装飾が特徴の作風。対して「黒薩摩」は、光沢のある茶褐色で、素朴さと丈夫さを兼ね備えた作風だったため、日用品として庶民に愛されてきました。薩摩焼が世界を魅了し、注目されるようになったきっかけは、1867年に島津藩が単独で出品したパリ万博でのことです。

 薩摩焼の魅力

繊細で絢爛豪華な「白薩摩」
素朴で丈夫な「黒薩摩」

薩摩焼薩摩焼の作風の一つである「白薩摩」は、透明で光沢のある淡黄色、貫入と呼ばれる表面を覆う細かいヒビ、さらに金彩(きんだみ/金ぱくなどで彩ること)が特徴。さらに小刀で優雅な模様を彫り込む「透し彫り手」などの繊細で高度な技の数々も目を奪われるものがあります。薩摩の歴代藩主が育んできただけに、絢爛豪華で、格調の高い美学を感じられます。一方で、庶民の生活道具として鹿児島の人々の生活に密着してきた「黒薩摩」は、火山灰や軽石が混ざり、鉄分が多く含まれた土が使われています。掛けられた黒釉(こくゆう)は、使い込むほどに漆黒の中に光沢が浮き立ってくるので、自然と愛着が湧いてきます。美術工芸品としてや、民芸品としての側面を持つ薩摩焼は、たいへん奥が深く、作風に歴史や個性を感じられます。

 薩摩焼ができるまで

成形後、加飾。素焼し、釉薬を
掛け、本焼。絵付けを焼けば完成

薩摩焼ができるまでここでは「白薩摩」の制作工程をご紹介します。まず、数種類の土を配合して陶磁器の素材となる土「坏土(はいど)」を作ります。つぎの「水簸(すいひ)」の工程では、坏土を水に溶かして砂などの不純物を取り除きます。これを数回繰り返し、適度に乾燥させ、きめ細やかな陶土を生み、ろくろや手などで成形。ある程度乾燥したところで、カンナで不要な部分を削り、形を整えます。透かし彫りや、へらなどによる加飾も生乾きの内に行います。成形の仕上げ後、充分に水分を取り除き、素焼の工程に入ります。素焼き後、表面を磨き、なめらかにし、釉薬を掛けます。本焼後は、絵付けを施します。これをさらに焼き、絵の具を表面に焼き付ければ、完成となります。金細工を施す場合は、上絵付けの焼き付け後、窯から取り出して冷ましてから行います。

主な産地・拠点 鹿児島県
このワザの職業 陶芸家
ここでワザを発揮 食器 茶器 花器 酒器 装飾品
もっと知りたい 鹿児島県薩摩焼協同組合
鹿児島県歴史資料センター黎明館