瀬戸染付焼の歴史
陶工が磁器の焼成技術を
瀬戸の地に広めたのが起源
19世紀の初めに、陶工であり、のちに磁祖と呼ばれることとなる加藤民吉(かとうたみきち)などが磁器の焼成技術を瀬戸の地に広めたことが「瀬戸染付焼」の起源。その後、絵師から中国風の柔らかな絵付けの指導を受け、発展。19世紀中頃には瀬戸の自然を写し描く絵画的手法(染付画)による瀬戸独自の画風が誕生。この染付画は、ウィーンやパリで行われた万国博覧会において高い評価を受け、国際的な美術運動「アール・ヌーヴォー」にも影響を与えました。明治期には、生産が一層盛んになり、食器のほか、花瓶や重箱、灯籠、テーブルなどの作品も作られるように。現在も独自の技術は受け継がれており、さまざまな作品に息づいています。
瀬戸染付焼の魅力
やわらかな味わいの素地
に描かれた繊細な染付画
瀬戸染付焼の特徴は、砂婆(さば)と呼ばれる風化した花崗岩(猿投産)に,瀬戸産の木節粘土、蛙目粘土などを混ぜることで生まれる、やわらかな素地。さらには、その素地を素焼したあとの白地に直接呉須(ごす)絵具の藍色を基調とした色彩の濃淡で描かれる鳥や花、昆虫などの繊細な染付画も瀬戸染付焼ならではの特色。また、一定時間、窯の温度を高温のまま維持しておく「ねらし」を行い、釉薬を熟成させることで完成する、潤いあふれる佇まいも多くの人を魅了しています。
瀬戸染付焼ができるまで
さまざまな技法を用いる
染付が最も重要な工程
瀬戸特有の粘り気が強い「本山木節粘土」「本山蛙目粘土」に、遮光性のある「猿投長石(さなげちょうせき)」などを調合した陶土をろくろや手ひねりで成形。厚みを均一にし、水を含ませたスポンジなどで拭って表面をなめらかにします。乾燥後、素焼をした素地の表面に、直接筆で呉須絵具(ごすえのぐ)等を用いて染付を行います。この染付は、瀬戸染付焼の最も重要な工程。絵画のような作品を生む「つけたて」や、素地に絵模様の輪郭を均一に描く「縦書き」などのさまざまな技法で染付をします。その後、光沢が良く、透光性がある釉薬「石灰釉(せっかいゆう)」などを掛け、乾燥。焼成に移ります。焼成の最後に「ねらし」といって窯の内部の温度を1250度程度の高温に保ち釉薬を熟成させれば完成となります。
主な産地・拠点 | 愛知県 |
このワザの職業 | 陶芸家 |
ここでワザを発揮 | 食卓用品 茶道具 華道具 室内装飾用品 |
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