東京都 江戸扇子

 江戸扇子の歴史

平安初期に日本で生まれた扇。
京都で育まれ江戸の粋と出会う

江戸扇子扇子の歴史は古く、始まりは平安初期に遡ります。細長い木の板を綴じ、扇形にしたもので、薄いヒノキ板を用いたことから「檜扇(ひおうぎ)」と呼ばれ、文字を書いたり、笏の代わりにも使いました。『続日本紀』天平宝字6年には、文献上初めて扇の記述が見られ、功労のあった老人が扇を持つことを許された、とあります。平安時代になると、今の扇子の原型となる細い骨に紙を貼った「蝙蝠(かわほり)」と呼ばれる夏用の扇が登場。『枕草子』には中納言・藤原隆家が珍しい扇の骨を手に入れたと自慢に来る場面や、「扇の骨は、朴。色は、赤き、紫、緑。」という記述もあります。『源氏物語』夕顔の章では、香をたきしめた白扇に花を載せて渡すという話があり、扇は持つ人のセンスや教養を表す重要な持物として、貴族社会に浸透していたことがうかがえます。現在のような紙扇が一般的になったのは鎌倉時代と言われ、武士の台頭と共に広まっていったようです。扇子の産地は京都が主でしたが、元禄時代に京都から浅草へ移った職人が浅草寺の境内で扇子を売ったことから江戸扇子が始まったといわれています。その後、京の「雅」とは異なる江戸の「粋」の文化とともに江戸っ子の生活の中に馴染んでいきました。(2017年5月30日加筆修正しました)

 江戸扇子の魅力

きりりと潔いデザインが身上。
一人の職人が精魂込めた一本

江戸扇子江戸扇子の特徴は、京扇子に比べて骨数が少なく、骨が太めであること。ただし、現在では多様な扇子がつくられており、京扇子でも骨太や骨数が少ない物もあります。伝統的な柄としては、小紋柄、幾何学柄、縁起物などがあり、そのすっきりと潔いデザインからは江戸っ子の「粋」の精神がうかがえます。江戸時代には切り替え柄などの大胆な意匠や友禅画なども、粋でお洒落好きな江戸っ子の間で流行しました。また、閉じた時にパチンと小気味よい音を響かせるのも、江戸扇子ならでは。分業制の京扇子とは異なり、一人の職人がほとんど全ての工程をこなすため、多様な職人ワザが凝縮した一本と言えるでしょう。量産ができないため、他人とは違う逸品を手にできるのも魅力となっています。

 江戸扇子ができるまで

地紙貼りから最後の仕上げまで
ほぼ全ての工程を一人でこなす

江戸扇子ができるまで湿らせた和紙を長紙、芯紙、長紙の順に3枚貼り合わせ、地紙を作ります。水に少量の膠(にかわ)と明礬(みょうばん)を溶かした礬水(どうさ)をにじみ止めのために地紙に引き、地色をつけ、時間をかけて乾かした後に渋や雲母を引いたり、柄をつけたりしていきます。柄によっては日本画家等に依頼することも。芯紙の中央に骨を通す穴を作るため、ヘラを使って紙の繊維を分けるようにして口を開けていきます。湿らせた布で地紙を包み十分に湿ったら、扇子型に合わせて折っていきます。折り終わったら余分な地紙を切り落とし、拍子木を使って地紙を叩いて形を整え、型に入れて圧をかけてから、乾燥。地紙を開いて、芯紙に開けた口から真っすぐになるよう、骨の通る穴をあけていきます。再び型に入れて3、4日ほど圧をかけてから、地紙の上下の余分な部分を裁ち落とし、上部は金や銀で塗るか、箔押しします。拍子木で叩き、形を整え、芯紙に開けた穴に息を吹き入れ穴を広げておきます。地紙に合わせて骨の先を切り長さを整え、米粉を煮て作る糊(のり)をつけ、一本一本芯紙の穴に差し込んでいきます。骨の並びを整えたら乾燥させ、拍子木で叩いて形を整えます。

主な産地・拠点 東京都
このワザの職業 扇面師 扇骨師
ここでワザを発揮 持扇、仕舞扇、茶扇、高座扇、飾り扇、婚礼扇
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