求道者たち vol.13
杜氏2012/2/1

究極の地酒造りに挑戦し続ける「杜氏」

栃木県産の原料に
こだわった究極の地酒造り

【経歴】一級酒造技能士で、下野杜氏の井上裕史さん(37歳)。昭和49年栃木県生まれ。東京農業大学農学部醸造学科卒業後、同校研究生を経て、生家である酒蔵に戻る。25歳にして、杜氏代行を務める。29歳で南部杜氏資格選考試験に合格後、杜氏に就任。平成18年には、栃木県の新資格「下野杜氏」選考会にて、推薦を受け、第一期下野杜氏資格認定者に。個性際立つ「真の地酒造り」に情熱を注ぎ、現在に至る。

 「日本酒は、つくり手によく似るんですよ。僕のつくる日本酒は、ふくよかな味と言われます」。そうお腹を撫でながら笑って話す下野杜氏の井上裕史さんは、こう続けます。
「我々は、『真・地酒宣言』というコンセプトのもと、栃木産の米・酵母・仕込み水にこだわり、究極の地酒造りを追求しています。我々の造る地酒を通して、愛する地元・栃木の豊かな風土を世界中の人に感じてもらえたらうれしいですね」。
酒造りに情熱を注ぐ井上さんに出会ったのは、2011年の5月に東京の北千住で開催された栃木県酒造組合イベント「新世代栃木の酒2011」でのこと。まるで我が子の晴れ姿を見つめるような喜びに満ちた表情で、新酒を来場者に振る舞う井上さんのお顔は今でも忘れられません。
今回、井上さんのもとを訪れたのは、栃木県酒造組合イベントから約7ヶ月後の12月。新酒が出来上がる頃を見計らってうかがわせていただきました。
案内された土壁づくりの蔵でまず目に飛び込んで来たのが、大量の酒米を一度にふかす巨大な釜。釜から立ちこめる湯気は、ほんのり甘い薫りを纏っていました。
蔵の2階に井上さんがいらっしゃるということで、階段を登り、木製の引き戸を開けると、早朝の仕事を終えた井上さんをはじめとする蔵人さん達が思い思いに休憩しているところでした。みなさんの表情がリラックスモードから一転して、厳しい表情になったのは時計の針が午前8時を示す頃。杜氏の井上さんが連絡事項を蔵人さん達に伝え終わると、全員が立ち上がり神棚に向かい二礼二拍手。張りつめた空気の中、仕事のスタートです。

目まぐるしいほどの
勢いで行われる工程の数々

 巨大な釜から蒸米が、次から次へと手際よく運ばれて行く様子。それを布の上に素早く広げる様子などなど、目まぐるしく変わる景色に圧倒されると同時に、職人の凄みというものを感じました。

喜びと癒しを与える酒を生み出す
「魔法の手」に魅せられ、杜氏に

 仕事が一段落したところで、井上さんに杜氏を目指したきっかけや、杜氏としてこれまで歩んで来た道のりを振り返っていただくことに。
「家が酒蔵だったので、高校生のころから酒造りを手伝っていました。家業を継ごうと決意したのは、高校2年生の冬。きっかけは、『杜氏の手は、魔法の手』だと思ったことです。お米と水。たった2つのものから、人に喜びと癒しを与える飲み物を生みだすわけですからね。でも、5代目ということで決められたレールを走るのだけは嫌だったんです。当時大好きだった尾崎豊の影響もありましたかね(笑)」。
井上さんがこのように語るのは、その当時の酒蔵の体制も大きく関係していいたようです。
「酒蔵の中には、社長を頂点とする酒を販売する会社と、杜氏を頂点とする酒を造る会社が同居しており、完全分業制が成立していました。互いに大まかな要求はしますが、詳細についてはアンタッチャブルな関係。そんな不思議な構図が成り立っていましたね。また、酒蔵の息子が後を継ぐといえば、僕の父がそうであったように経営者として営業・販売に携わるのが一般的。でも、僕は酒を造ることに魅力を感じていましたので、あえて父親と違う道を進もうと考えたのです。酒蔵職人の仕事は古来より、学問よりも経験と勘が重視されていました。でも、どうせなら学問として酒造りのメカニズムを学ぼうと思い、全国で唯一専門的に醸造学(酒造り)を学べる東京農業大学農業部醸造学科(現:応用生物学部醸造学科)に進学。卒業後は他の蔵元に就職して数年間修行をしたいと考えていたんです。けれど、実家の杜氏の年齢や体調の問題もあり、そのまま家に戻り蔵人として酒造りの修行を始めました」。
大学卒業後、実家で修行することにした井上さん。5代目としてのプレッシャーもあったと話します。
「実家での修行は、経営者の息子という事で甘えが許されてしまう環境でもありましたから大変な面もありました。そんな環境、そして何より自分自身に負けないよう自宅ではなく、蔵に住み込み、師匠である杜氏と寝食を共にしながら、ひたすら酒造りを学ぶ日々を送りました。酒造りは自然界の微生物との共同作業。つまり、生き物を扱う仕事。一度酒造りを始めると、毎日に欠かさず世話をします。一般的には、蔵人が交代で休みをとるというシステムになりますが、僕は少しでも早く杜氏の技術を盗もうと考え、休む事なく連日酒蔵に張り付いていました。また、先輩蔵人たちからの信用を得たくて、とにかく必死でしたね」。

栃木県産酒米の魅力を
引き出し、手にした栄冠

 「広くさまざまな品種で酒造りに挑戦するよりも、誰より地元・栃木産の米を理解し、深く可能性を掘り下げ、魅力を引き出すことができる蔵人でありたいのです」。
そう話す井上さんは、当時多くの酒蔵で大吟醸酒を造る際に使用されていた「山田錦」ではなく、酒米として注目されていなかった地元の酒米「ひとごこち」を使用した大吟醸酒づくりに2005年から着手。「ひとごこち」を使用した酒造りのデータがなかったことから手探り状態ではじめた研究は、困難も多かったそうです。徐々に「ひとごこち」の個性がわかりはじめ、ようやく満足のいく出来となった2010年の「澤姫 大吟醸 真・地酒宣言」は、国内の全国新酒鑑評会では入賞止まりと、思うような評価を得られず。しかしながら、世界最大規模の酒類コンテスト「IWC2010(インターナショナル・ワインチャレンジ)」SAKE部門「吟醸酒・大吟醸の部」にてゴールドメダル、そして部門最高賞「チャンピオン・サケ」を受賞。翌年のIWC2011においても「澤姫 大吟醸 真・地酒宣言」は、SAKE部門「吟醸酒・大吟醸の部」にて、ゴールドメダルに輝いたのです。
「自分たちで造った酒は、いつだって可愛いものですから、ゴールドメダルの受賞はうれしかったですよ。しかし、それ以上に『ひとごこち』の生産者(契約農家)の方が、『おめでとう。もっと良質なお米をつくるから、次も頑張ってね』と、僕たち以上に喜んでくれたのがとってもうれしかったですね」。

杜氏の現状、そして次代の
酒造りを担う若手蔵人

 「高齢化が深刻な問題になっている杜氏の現状。従来の出稼ぎ型杜氏制から地元社員による酒造りの変換が全国的に急ピッチで進んでいます。このような環境のなか、各地で若手杜氏や女性の杜氏が次々と誕生しているのもまた事実。
蔵人という仕事は、昔と比べて比較的身近な職業になってきているのではないでしょうか。酒造りは、年齢や経歴に関係なく、努力次第で世界一の酒を生み出すことができるという無限の可能性があるんです。そして、何よりもクリエイターとして自らが描き醸し出した作品とも呼べるお酒を世界中の人々に評価していただけるという喜びもあります」。
井上さんの酒蔵にも未経験から酒造りに挑んでいる若手蔵人さんがいらっしゃるということで、酒造りに挑戦しようと思ったきっかけや経緯、理想とする将来像をうかがうことにしました。
井上さんのもとで働くようになって4年。その間、雨の日も雪の日も自転車で通勤するほどの根性の持ち主の宇藤さんは、主に洗いものや蒸米を管轄する釜屋として働きながら、先輩方から様々なことを体得しようと励んでいらっしゃいます。
「前職の工場での仕事は現在と同様にモノ造り。しかし、製造に携わったのは一部だけで。でも、ここでは、お酒づくりの全工程に携わることができるのです。その素晴らしさに惹かれ、この世界に入りました。年末には欠かす事なく、両親に自分が携わったお酒を送っています。冬場は日々冷たい水で洗いものをするので、あかぎれが絶えませんが、毎年自分が携わったお酒を誰かに飲んでもらえることをとても幸せに感じますね。今はまだまだ自分の仕事のことで手一杯ですが、ゆくゆくは先輩方に追いつけるよう一歩一歩前進していきたいです」。

一方、20代前半で唎酒師の免許を取得するほどの根っからの日本酒党で、副杜氏として杜氏の井上さんを支える佐藤さんはこう話します。
「唎酒師の試験の際に知り合った居酒屋さんとのつながりで、偶然、専務(井上さん)と知り合いました。そこで、専務に『うちに来ないか』と言われ、酒造りをよく知らないまま飛び込んだんです(笑)。その頃、原付で冬場も通っていたのですが、寒すぎて30分もの通勤に耐えられず、蔵に泊まり込むことに。はじめは右も左もわからなかったのですが、蔵に泊まり込む事で朝も夜も麹の様子を見守るなど、はじめから多くのことを学ぶことができましたね。また、専務は、一年目から酒造りの仕込みを一本任せてくれるなど、様々な経験を積ませてくれました。酒造りは時に辛くなりこともあります。けれど、お酒が大好きだから辞められないですね。将来、杜氏になったら、専務がそうしてくれたように若手に多くのチャンスを与えたいです。成功して得ることもありますが、失敗して得る事も多いにありますからね」。

酒造りが出来る喜びを感じ、
再出発を決意

 記憶に新しい2011年の東日本大震災。決して井上さんの酒蔵も無傷ではなかったといいます。
「おかげさまで県内すべての蔵が無事今期の酒造りに入ることができましたが、震災の影響で廃業に追い込まれる近県の酒蔵も少なくなかった。我々も酒蔵が土壁ですので、十数ヶ所壁が崩れ落ちたり、蔵のシンボルである大煙突が破損し、解体を余儀なくされたり、20本以上の仕込みタンクが傾いたりと、様々な被害が発生したため修復が必要で、一時は新酒づくりのスケジュールをたてられなかった。東北沿岸部の惨状には及びませんが、栃木県中北部の状況はかなり壮絶でした。計画停電でも苦しめられましたしね。けれど、こういう状況下で弱音を吐く訳にはいかなかったんです。震災後、多くの方達の協力もあり、ようやく新酒づくりをスタートできるとなった時は、酒造りができる喜びを改めて感じました」。
前述の通り、井上さんは栃木県産の水や酒米を使用。放射性物質の影響に頭を悩まされたと吐露します。
「放射性物質は検出されなかったのですが、その影響を気にする消費者から理解を得られるかとても悩みました。しかしながら、我々に出来るのは、悩む事ではなく、地道だとしてもイベント等の場で、安全性を消費者に伝えていくしかないと考えたのです。正しく情報を伝えた上で、これまで通り地元の原料を堂々と使い続ける事が、我々『地酒職人』の使命であり、会社として長期的に取り組める地元に対しての復興支援だと考えています」。
気持ちを新たに、再出発を決意する井上さんの一言一言には、これまで以上に酒造りへの情熱が溢れていました。


杜氏