島根県 石州和紙

 石州和紙の歴史

1300年という長い歴史を超え
守り伝えられた手漉きの技

石州和紙石州和紙は島根県の石州[石見(いわみ)地方]で漉かれている和紙です。寛政10(1798)年の『紙漉重宝記(かみすきちょうほうき)』には、西暦704年~715年頃、石見の国主となった柿本人麻呂が製法を伝えたとあり、延喜5(905)年の「延喜式(えんぎしき)」の中にも登場しています。江戸時代には全国に広く知られ、大阪商人が台帳として愛用していました。火災が起きても井戸に投げ込めば、破れる事もなく大切な売買の記録を守ることができたからです。この強靭な和紙の製造技術は三隅町を中心とした地域の職人によって守られ、昭和44(1969)年に「石州半紙(せきしゅうばんし)」が国の重要無形文化財に、平成元(1989)年には「石州和紙」が経済産業大臣指定の「伝統的工芸品」に指定され、平成21(2009)年にはユネスコの無形文化遺産に「石州和紙」が記載されました。

 石州和紙の魅力

「日本一」と讃えられる強靭さと、
光沢がありにじみにくい優れた紙質

石州和紙伝統技法によって生み出される強靭さが、石州和紙の魅力の一つ。原料は楮(こうぞ/クワ科の落葉低木)、三椏(みつまた/ジンチョウゲ科の落葉低木)、雁皮(がんぴ/ジンチョウゲ科の落葉低木)で、楮と三椏は地元で栽培し、雁皮は野生のものを採取しています。「数百回折り曲げてもちぎれない」という「石州楮紙」は約10mmの靭皮繊維(じんぴせんい)が絡み合い、折っても揉んでも破れない丈夫な紙。「石州三椏紙」は約4mmの靭皮繊維で、繊細さと弾力性が特徴。柔らかい光沢を持ち、広く書道や印刷に用いられます。「石州雁皮紙」は靭皮繊維が約3mm、半透明で光沢があり、湿った状態や虫の害にも強い紙です。現在は染紙や透かし柄、様々な素材を漉き込んだものあもり、強さと美しさを活かしインテリア等にも利用されています。海外での手漉き実演や、技術指導も行っています。

 石州和紙ができるまで

原料の栽培から始まり
多くの手をかけ漉きあげる

石州和紙ができるまで原料となる楮と三椏は地元で栽培し、雁皮は野生のものを採取します。刈り取った原木は1mほどに揃え、「せいろ蒸し」し、鎚(つち)で叩いておいて表皮をはぎ取ります。はいだ黒皮は自然の風で乾燥させ、貯蔵。使う時には黒皮を水に半日ほど浸してから、表皮を包丁で削る「黒皮そぞり」を行います。白皮となったものを水洗いし不純物を取り除いたら、次は「煮熟(しゃじゅく)」。煮釜に水と12%のソーダ灰を加え煮立て、沸騰したら原料をほぐし入れ上下をひっくり返しながら2時間ほど煮た後、蒸らします。原料を取り出し水の中で一本ずつ洗い、塵等を丁寧に取り除きます。木盤の上に原料をのせ、樫の棒で叩いて繊維を砕く「叩解(こうげ)」を行います。このとき、石州和紙では「六通六返し」といって、左右六往復、上下六回返しています。次に漉き船に水、ネリ(トロロアオイの根の粘液)、紙料を入れよく撹拌し、紙料を簀全体にすくい上げる「数子(かずし)」、深くすくい上げ前後に調子をとって繊維をからませ層をつくる「調子」、簀の上に残った不要な水と紙料を一気に捨てる「捨水(すてみず)」の三工程で紙を漉きます。漉き上がったら水を切り、紙床台に移し、一晩放置した後に圧搾機で絞ります。その後一枚一枚剥がしてまだ湿ている紙を銀杏の干板に刷毛を使って貼付け、天日で乾燥させます。乾燥した和紙は厚さやむら、傷等を一枚一枚確認し選別してから裁断し、製品として仕上げます。

主な産地・拠点
このワザの職業 手漉き和紙職人
ここでワザを発揮 書道用紙、障子紙、賞状用紙、封筒、文化財修復
もっと知りたい 石州半紙技術者会・石州和紙協同組合