沖縄県 琉球漆器

 琉球漆器の歴史

琉球王国が漆器の製作所を設置。
中国の加飾技法を習得し、発展

琉球漆器中国漆器の技法を習い、14世紀から始まったとされる琉球漆器。17世紀初頭には、首里王府が貝摺(かいずり)奉行所という漆器の製作所を設置。1879年の廃藩まで何度も工匠を中国に派遣し、「螺鈿(らでん)」「沈金」「箔絵」などの加飾法を習得させたことで、技術的にも芸術的にも高いレベルの作品が作れるようになりました。なかでも、1715年に比嘉乗昌(ひがじょうしょう)が中国の素朴な加飾法からヒントを得て、独自に編み出した華麗な加飾法「堆錦(ついきん)」は、今日の琉球漆器を代表する加飾法に。こうした独自の芸術性が花開いたことで、献上品としてまた貿易品としても多くの人々に喜ばれました。その後の明治時代には、「丈夫なうえ手頃で、朱塗りの美しい漆器」として全国に知られるまでになりました。

 琉球漆器の魅力

鮮やかな朱や透明感のある黒。
繊細で華やかな文様の数々

琉球漆器鮮やかな光沢を持つ朱や、透明感のある黒を纏う琉球漆器。内側を朱、外側を黒という具合に塗り分けた品も多く、朱と黒のコントラストも印象的です。この漆の美しさは、他の産地に比べて顔料を2割ほど多く混ぜ、乾燥時間と粘度具合を調整するために桐油(きりあぶら)を入れること等で生みだします。多湿高温で紫外線が強い沖縄の気候によって、漆は濁ることなく、透明になり、顔料の色味を一層冴えさせています。一方、文様の多彩な点も見所。特に、「堆錦」が生みだす立体的な文様は、迫力と華やかさを兼ね備えています。このような容姿に加えて、木地に軽く、弾力性に富み、ゆがみや狂いの少ないデイゴや、変形や亀裂が少ないシタマキが使用されていることも、丈夫で長年愛用されている理由です。

 琉球漆器ができるまで

沖縄独自の材料を利用。
漆を丹念に何度も塗っては乾かす

琉球漆器ができるまでまずは、板を組み合わせる「指物(さしもの)」の技法や、ろくろにかけて鑿(のみ)で成形する「挽物(ひきもの)」の技法など、作品に応じた加工法で木地を作っていきます。つぎに、クチャ(島尻泥岩/沖縄でしか取れない泥岩)と生漆を混ぜた下地を塗り、乾燥させ、何度も砥石やペーパーで研いでいきます。生漆に赤外線や紫外線を加えながら水分を蒸発させ、透明な漆をつくります。これを器に何度も丹念に塗り、乾燥させます。さらに、漆と顔料を練り合わせ、これを押し広げて型にはめるか、または切り取って文様を作り、漆器の表面に貼り付ける「堆錦」や、真珠色に光るうすく削った夜光貝やアワビ貝の貝殻を様々な文様に切り、貼りつける「螺鈿」などの技法で加飾し、完成となります。

主な産地・拠点 沖縄県
このワザの職業 塗師 木地師(漆器)
ここでワザを発揮 盆 茶椀 銘々皿 椀 重箱 棗(なつめ)
もっと知りたい 那覇市伝統工芸館