福岡県 博多織

 博多織の歴史

250年後の子孫が技法を進化。
福岡県を代表する幕府の献上品に

博多織今から約770年前の鎌倉時代、博多商人・満田弥三右衛門が僧・聖一国師とともに宋(中国)に渡り、織物の製法を学んだのがルーツだといわれています。その約250年後の室町時代、弥三右衛門の子孫・彦三郎が明(中国)へと再び渡って最新の織物技法を習得。竹若伊右衛門と改良に励み、博多織の原型を生み出したのです。当時は、生地が厚く、浮線紋といった模様の厚地の織物でした。江戸時代初期に入ると、筑前藩主(福岡県西部)・黒田長政が博多織を幕府への献上品として指定。「献上博多」としての地位を築いたのでした。明治時代になると、博多織業界にも機械化の波が訪れ、フランスのジャカード織機などを導入。質の高い博多織を大量生産できるようになりました。その後、博多織の進化は続き、若手の育成にも力を注いでいます。

 博多織の魅力

厚み、張りをもつ生地。
締めやすく緩みにくい博多帯

博多織一般的に織物とは、タテ糸とヨコ糸を組み合わせて作る布地のこと。特に博多織は、タテ糸を密に配列して、数本合わせた太いヨコ糸を使用するので、生地に厚みがあります。力強く織り上げられることによって、しなやかさと丈夫さが備わるのです。たとえば博多織の帯は、締める際に「キュッキュッ」と絹が音を出す「絹鳴」、一度締めると緩みにくい固定感などが特徴です。その使い心地は「男帯といえば博多帯」と多くのファンを魅了するほど。帯以外にも、小物やネクタイなどを生産。優雅な平織(ひらおり)、繊細美を醸す紋織(もんおり)など、「献上博多」に相応しい美しさを生み出しています。また、ブライダルデザイナーと共同でウエディングドレスをつくるなど、伝統技法を大切にしつつも、時代に合わせた博多織を楽しめるのも魅力のひとつです。

 博多織ができるまで

切れやすい絹を扱う繊細さと
厚い生地をつくる力強さ

博多織ができるまで博多織は、織る前に糸を染める先染めの絹織物です。まず、意匠と呼ばれる工程で、博多織の絵柄を決定します。意匠は、完成品のデザイン・売れ行きを左右する大切な作業。繊細さと豊かな感性が求められます。意匠で色が決まった後、糸を染色します。日々の湿度・温度によって染め上がりがことなるため、熟練したワザが必要。その後、機仕掛を経て、「打ち返し、三つ打ち」という技法で製織します。力強さと緻密なワザが一体となる瞬間です。こうして、繊細でいて張りの良い博多織が完成します。

主な産地・拠点 福岡県
このワザの職業 織物職人
ここでワザを発揮 帯、小物、ネクタイ、ドレス生地、インテリア製品
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