ワザNOW vol.3
東京銀器 2011/6/1

伝統技術と最新技術を融合させた
銀器づくり

世界に通用する銀器をつくり、
より多くの人に届けるために

伝統工芸師であり、上田銀器工芸株式会社代表取締役の上田耕造さん。1939年台東区生まれ。15歳より先代である父親の上田新次郎氏に師事。36歳で銀のカトラリーを始め、さまざまな銀器を手掛ける上田銀器工芸株式会社を設立。現在、スーツ姿の時は銀器の伝道師として、作業着姿の時は職人として銀器と向き合っています

 2007年TVで放映された木村拓哉(SMAP)さん主演のドラマ「華麗なる一族」をご覧になった方はいるでしょうか。そのドラマに登場していた洗練された銀のカトラリー(食器)を製造しているのが「上田銀器工芸」です。今回は、そんな同社を訪問し、室町時代から製造され、明治時代に花開いた伝統工芸品・東京銀器が、現代にどのような形で受け継がれてきたのか、そして次世代にどう受け継がれているのか。東京銀器を巡る“今”をうかがうことにしました。

 京成線「堀切菖蒲園」駅を降り、賑わう商店街を横目に過ぎると「○○工房」「○○製作所」などの看板が次々と目に飛び込んできました。「さすが都内でも有数のものづくりの街だな」と思いながら春の陽気の中を歩いていると、並木通りの先に「上田銀器工芸」の文字が。2階の事務所に通されると、スーツ姿の代表取締役・上田耕造さんが迎えてくださいました。早速、同社の歴史を通して、いかにして銀器が現代に受け継がれてきたのかを紐解くことに。

 「私は15歳から頑固一徹の職人だった父のもとで働き、技術を盗んでいました」と上田さん。もともとお父さまと共に、銀食器にこだわって製造を続けていたそうです。しかし、当時の日本の銀食器は本場であるイギリスやフランス、イタリアなど欧米のものを真似てつくっており、飾りものにはなったのですが、力を加えると簡単にまがってしまうなど実用性に欠けていました。そこで、上田さんが目指したのがより実用性に優れた頑丈な銀器をつくること。そのために活かしたのが、日本の伝統的な金工品のワザである“鍛金”の技術でした。金属の粒子を密にし、形をつくる鍛金という製造方法によって、上田銀器ならではの強く美しい銀器をつくることが可能になったのです。
 こうした「クオリティの問題」と共に上田さんが直面したのは「経営」という問題でした。それは、当時の手づくりによる製造方法では、スプーンの場合、一日あたりわずか10本しかつくることができなかったからです。このままでは、銀食器は一般の方にはなかなか手の届かないとても高価なものに。そうなれば、日本での銀食器文化の普及は進まず、結果的に職人の仕事は失われることになってしまいます。モノづくりの経営が上手くいかなければ、これまで培ってきたワザも受け継いでいくことはできません。
 上田さんの心の中には日に日に「世界に通用する銀器をつくり、より多くの人に届けたい」という想い。そして「伝統工芸・技術は、何とかして未来に受け継がなくてはならない」という2つの想いが募っていったそうです。

 そんな上田さんが取り組んだのが、機械化。30代中頃に、父の代わりに会社を受け継ぐと、積極的にさまざまな機械を導入。それにより、品質の揃った銀器を数万本単位で、製造することも可能になりました。一方で、オリジナルデザインの開発にも注力。精密な金型をつくり、多彩なラインナップで、銀器をより魅力的なものにしています。しかし、あくまでそのベースにあるのは鍛金のワザ。次のページでは、その上田さんの見事なワザをご紹介します。

一枚の銀の板が、見る見る
うちに、バターナイフに

 いよいよ実際の作業を見学できるということで、1階の工房に通されると、しばらくしてスーツから作業着に着替えた上田さんが登場。経営者としてではなく、職人としてのオーラが漂っていました。吹き抜けが開放的な工房内には大小さまざまな機械や材料が並んでおり、小屋裏へつづく階段もありました。工房内を見渡していると、「これが機械化を考えはじめたときに貯金をはたいて購入したリフレクションプレスです。スプーンやナイフの柄の部分などの型成形をする際に使用します」と上田さん。年季の入ったこの機械が約40年ものあいだ上田銀器工芸さんの銀器づくりを支えてきたのかと思い、たいへん感慨深かったです。

 工房内の紹介が一段落すると、鍛金技術を用いたバターナイフづくりを見せてくれました。平らな銀の板を、鍛金技術を用いて強度の増強とともに成形。カンカンカンッと小気味よく何度もハンマーを板材に対して垂直に叩きつける上田さん。その間約5分。次第にバターナイフの形になっていく様が面白く、取材であることを忘れて無言になってしまうほどでした。作業の途中に鍛金技術を用いた板材と、用いる前の板材の強度を比較したのですが、その差は歴然。鍛金の必要性を肌で感じました。

 工程は、ヤスリがけへと移ります。小屋裏で行うということで、階段をあがったのですが、そこにはいくつもの金型が収納されていました。「父が使用していた年季の入ったものから、最新のものまでストックしています。私たちの財産ですね」と上田さん。
 金型を手彫りで製造する型屋という職業もあるようですが、上田銀器工芸は金型造りに至るまでこだわりを持って自社で取り組んでいました。小屋裏内の工房へ移動し、椅子に腰掛けると、形の異なるヤスリの中から一本を取りだし、ヤスリがけを見せてくれることに。「機械で板材を切り抜いた際、側面に刃の跡が残るのですが、これを滑らかにするのは、決して機械ではできない。側面の滑らかさで良い銀器か否か決まると言っても過言ではないですね」。

 再び一階に戻り、仕上げとしてバフと呼ばれる機械で研磨。丁寧に磨いていくと、バターナイフは艶やかになり、より華やかなものへと変化していました。「研磨を外注する会社さんも多いのですが、ここまで手掛けたのに仕上げを人任せにするのが忍びなくて、バフも導入してしまったのです」。そう笑顔で語る上田さんからは、銀器づくりへの情熱が感じられました。そんな上田さんと同様に、銀器に魅せられた一人が弟子入り修行中ということで、インタビューさせていただくことに。

銀器業界の未来を担う
若手が奮闘中

 葛飾区伝統工芸弟子入り支援事業(次回募集は未定)を利用し、上田さんのもとに弟子入りしたという小田純さん。わずか1年半という短期間の内に「銀器の側面のヤスリがけは彼に任せれば問題ない」と上田さんを唸らせるほどの技術を体得。また、入社して間もない頃にデザインした「ウイング」という名のカトラリーのセットが全日本金銀創作展において、東京都伝統工芸士会会長賞を受賞するなど、努力を惜しまない姿勢と非凡な才能を持ちあわせていました。そんな小田さんにどんな経緯で弟子入りに至ったのかを詳しくうかがいました。

 「小さな頃から絵を描くことや図工が大好きでしたので、いつかのモノづくりに携わりたいと考えていました。高校の建築科の卒業時も、兵庫の製箔(アルミ)会社入社後も、その思いは変わらず持っていましたね。そんな中で、幸いにも葛飾区の弟子入り支援事業に巡り会うことができたのです。実は年齢制限はオーバーしていたのですが、いつまでも使い続けられる銀器の素晴らしさに感動し、銀器づくり職人になりたくて応募しました。すると、書類が通り、面接までしていただけることになったんです。まわりには、芸大卒の将来有望な若い子ばかり、正直落とされるだろうなと思いましたね。ところが、受かったのです。後日、受かった理由を上田さんに聞くと『手が良い。職人らしい不細工な手をしている』と話してくれたんです。何だかうれしかったですね」。

 小田さんは現在、CADによるカトラリーのデザインや納品準備などの事務仕事、さらには販売も担当されているそう。弟子入りして約1年半、どんな仕事にやりがいを感じているのか小田さんにお話ししていただきました。
 「自分が制作に携わった銀器の販売をできるということはとても貴重なことだと感じています。制作者の一人として展示会や店頭に立つことで、作品への評価をダイレクトに感じることができますし、それを次の作品に活かせますからね。業界でも私たちのような、職人自らが販売するケースは珍しいようです。特に海外から展示会に来られたお客様には驚かれますね。こうした展示会などを通して、まずは日本、そして世界に日本人独自の感性が宿る銀器があることを発信していきたいです」。熱い思いを胸に銀器づくりと真摯に向き合う小田さんは、東京銀器組合理事長として業界全体の技術進歩につながるイベントの開催に尽力する上田さんとともに、銀器業界を盛り上げる存在になることでしょう。


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