求道者たち vol.7
能楽 2011/3/28

東京銀座を拠点に、能楽の普及にあたる

能楽にどんどん興味が湧く、
銀座能楽団のユニークなイベント

 「能は難しくて、よく分からない」と思っていませんか? 確かに台詞が難しいし、役者の動きも独特。笛や鼓、太鼓で囃子方(はやしかた)が奏でる伴奏も耳慣れないものです。それでも能楽公演へ出かけると、多くの大人に混じって十代らしき若者の姿を見かけることがあります。しかも、仲間同士で能について熱く語り合っていることも。何かきっかけがあって能の魅力にはまったのでしょうが、そういう楽しげな若者の姿を目にすると、「能は難しい」と敬遠するのが、もったいない感じがしてきます。
 能はユネスコ(国際連合教育科学文化機関)により、世界無形文化遺産に登録されています。伝統芸能として世界に注目される一方で、日本では前述の理由から能を鑑賞する人の数が年々減ってきているのだそうです。このような中、能楽の魅力をもっと分かりやすく多くの人に伝えていこうという試みがあちこちで生まれています。これから紹介する「銀座能楽団」も、能楽普及の志をもって活動をしているグループの一つです。

 「銀座能楽団」は、シテ方観世流の長谷川晴彦さんと笛方一噌流(いっそうりゅう)の成田寛人さん、そして能楽プロデューサーの旅川雅治さんが中心となり、東京・銀座にある銀座能楽堂を拠点に活動しています。「銀座能楽団」がプロデュースする公演は通常の能楽公演とは違ってトークセッションあり、体験コーナーありといったユニークなもの。第一回は平成22年12月18日(土)に催されましたが、この時のテーマタイトルが「笛の巻」。二部構成の公演スタイルで、第一部が能の笛、能管(のうかん)の魅力とその表現についての解説と、観客に笛の唱歌(しょうが)というものを歌ってもらう体験学習をとりいれたワークショップ。第二部はワークショップの内容を踏まえて、舞囃子(まいばやし)という形式で三つの舞を鑑賞するというものでした。舞囃子とは、能の一部を紋のついた着物である紋服(もんぷく)で舞うものです。能装束(のうしょうぞく)を身につけないことにより、能の基本的な型や動きがよくわかるといいます。しかも第一部で笛の唱歌「ヲヒャーラ、ヲヒャヒュイヒヒョーイウリ・・」を歌ったことで、能管のメロディーが活き活きと聞こえだし、大変面白く鑑賞できました。

 あらためて取材に伺った第二回は、第一回が好評だった様子で銀座能楽堂は満席の状態。このページで紹介している写真は、その時に撮影したものです。ひな祭りを前にした2月26日(土)に企画された第二回のテーマタイトルは「五人囃子の巻」でした。雛飾りの五人囃子のルーツは、能楽にあるのだそうです。能楽の伴奏をする囃子方(はやしかた)は、笛、小鼓(こつづみ)、大鼓(おおつづみ)、太鼓(たいこ)、謡(うたい)で編成されます。雛飾りの五人囃子と違うのは、謡は地謡(じうたい)と呼び通常8人で構成されているところです。第二部はトークセッションと公演。それぞれの囃子方の役割や魅力を知ったあとで、小鼓奏者一人に謡が一人ついて演奏をする「小鼓独鼓(どっこ)」のような形式で公演を鑑賞しました。第一部・第三部は、人数限定の「能楽プチ体験講座」。A、Bコースに分かれて能管を吹く体験、摺り足(すりあし)という能の基本動作の体験ができたのですが、これが大変貴重な経験になりました。参加した方は、口々に「難しい。でも楽しかった」と感動した様子。今回の催しも、能楽の面白さを充分に参加者に伝えたようです。

2月26日(土)に企画された第二回「銀座能楽団」は、満席のお客さまで賑わった
「能楽プチ体験講座」のAコースは、「能管を吹いてみよう」。息を吹き込めどもなかなか音が出ない。30分ほどの体験で、もっと吹いてみたいという気持ちに

Bコースは「舞台で摺り足をやってみよう」。腰を落として上体をわずかに傾け歩くだけのことだが、体験した編集部Aさんは翌日、筋肉痛に悩まされたとのこと

 ユニークな発想で能楽普及につとめる「銀座能楽団」の長谷川さんと成田さんですが、実はお二人とも能楽師の家に生まれたわけではないそう。会社員や公務員といった一般のご家庭に生まれ育ったお二人が、どのようにして能楽の世界に足を踏み入れたのか、うかがってきました。

シテ方・長谷川晴彦さんの場合。
大学のサークル活動がきっかけ

長谷川晴彦(はせがわはるひこ) シテ方観世流・梅若研能会所属。昭和44年静岡県掛川市生まれ。日本大学文理学部独文学科卒業。三世梅若万三郎に師事

 長谷川晴彦さんは、能楽の演技を担当する役者(主役)、シテ方です。能楽に携わる人はこのシテ方をはじめ、ワキ方、囃子方、狂言方のいずれかに属しています。シテ方には、観世、金春、宝生、金剛、喜多の五つの流派がありますが、長谷川さんが所属するのは、シテ方観世流・梅若研能会です。能との出会いは、大学入学の時。師匠となる三世梅若万三郎との出会いも、大学でとなるそうです。
 静岡県掛川市の高校を卒業し、東京にキャンパスのある日本大学に入学した長谷川さんが胸に秘めていたのは、「せっかく東京で4年間過ごすのだから、東京でしかできないことをやりたい」ということ。当時の大学生の間ではサークル活動といえばテニスやスキーなどがメジャーでしたが、勧誘にあって興味を引かれたのが「日本大学能楽研究会」。その時の長谷川さんはまだ能を観たことがなく、「東京でしかできないことができる」と感じ入部したそうです。「日本大学能楽研究会」は部員4名ほどの小さなサークル。とはいえ、60年以上続く歴史がありました。このサークルに能を教えに来ていらしたのが、後に入門することになる三世梅若万三郎なのだそうです。長谷川さんの専攻は独文学。森鴎外に触発されて志望したそうですが、能との出会いは思い描いていた学生生活を一変させたようです。「当時の東京では、能の公演は毎日どこかでありました。学生は割引もありますし、土日はほとんど能を観に行くという生活をしていました」。ストイックに能に打ち込んでいった長谷川さん。それほどの力を持つ能の魅力をこう語ります。

 「能の面白さは、言葉で表現できないもの、目に見えないものを表現するところにあります。大きな動きはないのに、舞台では非常にエネルギーをつかいます。能舞台は、その日に会した能楽師、囃子方が申し合わせをするだけで、事前にリハーサルをすることなく本番をします。だから相互理解がないと成り立ちません。シテ方が、ここで間(ま)をとりたいと合図を送ったときにそれを察知して囃子方が間を作る。そこにはアーティスティックな感覚も必要になります。同じ演目でも組む相手によってまったく違うものになる面白さもあります。まさに一期一会の舞台なのです」。
 熱意をかわれたのか、大学3年の時、師匠から入門の声が掛かります。「なれるかどうかは分からないけれども、好きなことであるのは確か。サークルの先輩でプロになった方がいらっしゃったこともあり入門を決意しました」。
 入門後は授業が終わったらお稽古、休みの日は朝から師匠のご自宅で掃除、装束の修繕、チラシづくりなど、さまざまな用事を片付けるという日々。内弟子の期間は、能舞台に出演した場合にいただける出演料が生活の糧となるそうです。そして入門して8年後の平成9年に、独立を意味する「準職分(じゅんしょくぶん)」に推薦されます。平成10年には「披露能(ひろうのう)」を行い晴れて独立。独立後はお弟子さんをとることができ、能の会を自ら開くなど活動の主体が自分になっていきます。「好きなことなので、苦労話はありません。ただ、お正月の3日とお盆の3日くらいしか休めないのは確かです」。長谷川さんの場合、公演の予定は一年先まで決まっているのだそうです。

 最後に、能楽の世界を目指す若い方にメッセージをいただきました。
「『師弟制度』は若い人には馴染みがないかもしれません。システムは古くさくみえますが、価値があるから続いていること。要は人間がやっていることで、不安に思うことはありません。むしろ若い人には、能を衰退の危機から救う、くらいの気持ちでこの世界へ入って欲しいですね」。

「謡(うたい)」を披露する長谷川さん。普段の舞台では、シテ方として能装束を身につけ演ずる

能楽の組織と流儀。シテ方、ワキ方、狂言方、囃子方はその役割のみを行う専門家集団。役割を兼務することはない。現在、能楽に携わる人の数は1500名ほど

笛方・成田寛人さんの場合。
国立能楽堂の養成事業で修了

成田寛人(なりたひろひと) 笛方一噌流。昭和50年秋田県生まれ。第5期・国立能楽堂の養成事業修了。藤田次郎に師事。また芸歴は、今までに『乱』『石橋』『翁』『望月』『安宅 延年ノ舞』を披演

 成田寛人さんは、一噌流の笛方(ふえかた)です。能楽の笛、能管(のうかん)は小鼓、大鼓、太鼓の打楽器3種とともに「四拍子」と呼ばれ、唯一メロディーを担当します。一度でも、その音色を聴いたことがあれば、独特の高音が印象に残るはずです。能管は管楽器の中でも変わった構造を持ちます。一見すると、一般的な横笛のように息を吹き込む歌口(うたくち)と指を置く指孔(ゆびあな)があり構造に大きな差はないようですが、実は「喉(のど)」と呼ばれる細い竹が笛の本体に差し込まれており、あえて音律を狂わせる構造になっています。管の内部には漆が塗り重ねられ、ヒーッという甲高い音「ヒシギ」を生み出します。情景や人物の心理を表現する能管は、実にドラマチック。全身をつかうように能管を演奏する成田さんの姿も、表現のひとつのように感じられます。

 成田さんが、能管に目覚めたのは中学3年の時。もともと、お父様が謡曲を習っていたということもあり、小さな頃から伝統芸能の世界には触れていたとのこと。しかし、その日、FMラジオから流れてきた能管の調べには心打たれたそうです。「これは何かと父親に尋ねたら、能の笛だと。奏者は人間国宝の藤田大五郎でしたが、大変な衝撃を受けました」。当時、成田さんのご出身の秋田には一噌流の出稽古に(故)一噌幸政先生がいらしており、早速そこで習いはじめます。そしてお稽古は高校2年まで続きます。その後、能管から離れましたが、成田さんが20歳頃のある日、お父様が「国立能楽堂の養成事業」の話をみつけていらっしゃいます。「国立能楽堂の養成事業」とは、能楽三役のワキ方、囃子方、狂言方を養成するために基礎・専門教育を行うものです。1984年の開設以来多くの修了生を能楽界に送り出し、現在は第8期生が基礎課程を研修中です。応募資格は中学卒業以上23歳までとなっています。

 成田さんは第5期生となりますが、応募した年は笛、鼓、大鼓、太鼓、ワキ方が募集されたそうです。選考試験で20人弱の応募者が9人くらいに絞り込まれ、基礎研修家課程3年、専門研修課程3年の6年間の研修がスタートしました。その年の夏、何を専門に学んでいくかの決定があり、笛は2人に。笛方の流派は、一噌流、森田流、藤田流の三派あります。一噌流はそれまでは世襲でしたが、ちょうどこの時から外から人をとることになり、成田さんは一噌流・藤田次郎に師事することになったそうです。研修期間の平日のカリキュラムは、朝10時から謡のお稽古、13時から専門の笛のお稽古、15時から太鼓など他の楽器のお稽古をしたそうです。土日となると朝から師匠の鞄持ち。修行期間中は、「一週間が10日に感じられた」ほど、濃密で厳しい時間を過ごしたそうです。それでも「今」があるのは、やはり能楽の底深い魅力に心酔しているから。能楽の魅力を成田さんはこう語ります。

「渾身」という言葉が似合う演奏風景。全身をつかうように演奏し、情景や心理を表現する

唱歌(しょうが)と呼ばれる、能管の譜面。メロディとテンポが記されている。(成田さん提供)

 「能の醍醐味は、緊張感につつまれた真剣勝負の面白さにあります。能は決まり事の中で進行しますが、見えない宇宙が存在します。『能はライブ』なのです。この舞台の緊張感がお客さまに伝わった時、嬉しいと感じますし、私自身もこの舞台にいれて幸せだったと思うのです」。
 成田さんは中学生を対象とした「伝統芸能教室」で若者に接する機会があるそうですが、子供らしい反応が失われているように感じるそうです。最後に能楽を志す若い人へのメッセージをうかがうと、「若い人には見聞を広めて欲しいと思う。見聞したこと、見識が舞台に表れますから」という答えが返ってきました。

※銀座能楽団ホームページ(http://nohgakudan.jp/
能楽_能楽師