求道者たち vol.9
江戸和竿 2011/8/10

江戸和竿師として70年。
飽くなき探究心が原動力に

200年の歴史を誇る
竹製の釣竿「江戸和竿」

 二代目竿栄(吉野忠克)さん。昭和3年鳩ヶ谷市生まれ(83歳)。初代竿栄である父に、12歳で弟子入り。厳しい修行を経て、竿師として独立。2009年には、「第16回彩の国優秀技能者」受賞。近年では、鳩ヶ谷市内の小学校などでの講演などで、江戸和竿の魅力を広く世に伝えています

 昔はよく見かけた竹製の釣竿。しかしながら、最近では比較的安価なカーボンやグラスファイバーといった化学製品によってつくられた釣竿が主流になっています。そんな釣竿事情ですが、竹製の竿の根強いファンも多く、100万円を優に越す品が今もつくられています。その代表格が「江戸和竿」です。

 「江戸和竿」の起源は、約200年前の江戸中期にまで遡ります。江戸中期以前の釣竿というと、昔話の浦島太郎が担いでいるような「延べ竿(1本の竹)」ばかり。そんな中、持ち運びに便利なように竹を短く切り、使う時に継ぎ合わせる「継竿」を開発した人がいました。それが、釣り人の間でたいへん有名な「泰地屋東作」です。東作の開拓精神は弟子にも受け継がれ、東作の弟子の、そのまた弟子の「竿忠」は、漆を扱うプロである塗師に技術を習いに行ったとか。こうした地道な努力の積み重ねによって、多種多彩な漆模様が生まれ「江戸和竿」は芸術品の域にまで達しました。  こうした伝統の技を受け継ぐのが、今回ご紹介する江戸和竿師の「二代目竿栄(吉野忠克)」さんです。竿栄さんは正式には二代目。お父様が初代、弟さんが三代目となります。

 鳩ヶ谷市で生まれた吉野さんが、本所石原町(現在の東京都墨田区南部)に店を構えた初代竿栄(お父様)に入門したのは、12歳の時。当時の本所や浅草、押上、深川といった下町界隈には名のある竿師が多数いたため、江戸和竿づくりの激戦区だったそうですから、お父様はよほど腕の立つ職人さんだったのでしょう。しかし、それから5年後。昭和20年3月10日起きた東京大空襲ではお父様(初代竿栄)が戦災死。難を逃れた二代目と三代目(忠克さんの弟の吉野茂樹さん)は生まれ育った鳩ヶ谷市に疎開。以来、「兄弟で助け合いながら、和竿づくりに励んできた」と吉野さんは振り返ります。

 埼玉県鳩ケ谷市に住む竿栄さんのもとを訪れたのは、初夏の日差しが降り注ぐ7月のはじめ。住まい兼工房の中から出てこられた竿栄さんは、80歳という年齢を感じさせないほど、ピンと真っすぐ背筋が伸びていました。

繊細な工程の連続によって
生まれる美しい釣竿

 まずは、江戸和竿づくりの工程を教えていただけるということで、車で10分ほどに位置する「鳩ヶ谷市立郷土資料館」を訪れることに。そこには、市の指定無形文化財などとともに、竿栄さんがこれまで生み出してきた江戸和竿、そしてその江戸和竿を用いて釣り上げた魚の魚拓、さらには竿づくりの道具や釣竿の原料となる数種類の竹が展示されていました。「江戸和竿は、美術工芸品としても多くの人に愛されていますが、やはり釣りの道具として使っていただけるとうれしいですね」と魚拓を見ながら語る竿栄さん。

 「はじめに、原料となる竹を吟味し、竿の継ぎ数や長さなどを決めます。この『切り組み』は、いわば設計段階ですね。これを間違えると当然ながら、良い竿はつくれません。『切り組み』後は、矯(た)め木と呼ばれる道具と火を用いながら竹の曲がりを修正して、真っすぐにします。さらに、竹と竹を継ぐ際にピタリとはまるように調整。その後は、竿を継ぐ際に受ける側のほうに機械で糸を巻き、にかわを塗り、糸を竹に密着させます。最近では、にかわではなく樹脂接着材を使う所も増えてきましたが、樹脂接着剤は速乾性に優れていますが強度に問題があるんですよ。『糸巻き』を終えると、『節抜き』の工程に移ります。『節抜き』は、太い竿に細い竿を仕舞いこめるよう、ハッパギリまたはワギリと呼ばれる鉄製の道具で竹の節(肉)をさらいます。昔は、下から上にワギリを引き抜くことで、節をさらっていたのですが、眠気に負けてうとうとしながら作業をしていると、勢い余って自分の顔を傷付つけてしまってね……。仕上げは竿師の個性が出る『漆塗り』。この繊細な手仕事によって、鮮やかな光沢をまとった美しい釣竿となります」。そう指差した先に見える江戸和竿は、どれもが原材料が竹であることを忘れさせるような眩い輝きをはなっていました。

 一つ一つの工程を丁寧に解説してくれた竿栄さん。住まい兼工房に戻り、どんな思いで、約70年もの間、竿作りに励んできたのかをうかがうことにしました。

「どんな釣竿もつくり、
直すのが竿師」

 「私は、どんな釣竿でもつくれなければ、竿師ではないと思っているんです。また、つくるだけではなく、自分がつくったものはもちろんのこと、どなたかがつくった釣竿を修理するのも竿師の仕事だと思っています。『自分がつくったわけではないから、私には直せません』などと言って、せっかく頼って来られた方を無下にできないですからね」。そんな言葉を表すかのように、工房内には漆や淡水・海水魚に関する様々な書物や、自ら改良を加えた道具類が並んでいました。

 勉強熱心で好奇心大勢な性格と、確かな技術をもちあわせる竿栄さん。自らも釣りが大好きだと話します。しかしながら、最近は魚釣りに出掛けられずにいるそう。その理由は、近隣の学校での出前授業のほか、各種講演で若い世代にものづくりの素晴らしさを伝えているためです。  「ステッキ型の和竿を杖のように扱い、教室に入っていき、授業中はステッキ型の釣竿は、教壇のうえに置いたままにしておくんです。授業も終盤にさしかかった所で、ステッキ型の和竿を組み立てて見せるんです。そうすると、子どもたちは目を輝かせて、和竿に興味を持ってくれるんですよ。授業の中で、ものづくりの尊さや楽しさが、やがて生き甲斐になるということを感じてもらえれば幸いですね」。

 本業の竿師としてはというと、つぎつぎ新しいことに挑戦しています。最近では、割れやすく扱いが難しため、竿作りには不向きな寒竹(かんちく)で江戸和竿を製作。その一方では、佐賀県のムツゴロウ漁の名人(むつかけ名人)から依頼を受け、全長約5.2mにも及ぶ特注の江戸和竿を製作。依頼をうけたものの、どんな釣竿か詳細は知るはずもなく、試行錯誤の日々が続き、依頼から完成まで約半年の月日が掛かったそうです。誰もしてこなかったことをし、そして今もあらたな江戸和竿をつくり続けている竿栄さん。その姿に、真の職人を感じました。


江戸和竿