求道者たち vol.31
江戸つまみ簪 2016/2/1

小さき絹布から生まれる花鳥風月。
江戸から続く端正な手仕事が黒髪を彩る。

職人の数10人前後の
東京都指定の伝統工芸品。

つまみ簪職人・石田毅司(いしだ つよし) /1959年東京生まれ。祖父・石田竹次氏を初代とするつまみ簪職人の家系の三代目。幼少期からつまみ簪づくりを手伝い、大学卒業後に父である石田健次氏に師事。

 華やかな着物をまとってはしゃぐ女の子と、それを見守る家族の姿。毎年11月頃になると見られる七五三の風景は、見る人の心に温かな光をともします。女の子が黒髪に挿した、かわいらしい髪飾り。花々をかたどった簪(かんざし)は、よく見るとやわらかな布でできています。小さな絹の布をつまんで作ることから、「つまみ細工」と呼ばれるこの技法。江戸時代の風俗を描いた「守貞漫稿(もりさだまんこう)」に「縮緬の小片を集めて、菊の花や鶴の形をしたものを簪として用いた」と記述があるように、つまみ細工の簪は古くから日本人の黒髪を彩る髪飾りとして親しまれてきました。
 つまみ簪は昭和57年(1982年)に「江戸つまみ簪」として東京都の伝統工芸品にも指定されています。今では10人前後となってしまった「つまみ簪職人」のひとり、石田毅司さんの工房を訪ねました。

閑静な住宅街にある
工房には小さな博物館も。

 学生の街、新宿区・高田馬場。石田さんの工房は、この駅からほど近い閑静な住宅街の一角にあります。工房には私製の「つまみかんざし博物館」が併設されており、その魅力や歴史の一端に触れることが出来ます。取材当日はちょうど開館日の水曜日で、見学者が次々と訪れていました。石田さんはつまみ簪づくりの体験教室も約20年前から主催されているそうです。  「半日ほどの時間ですが、実際に体験していただくことで、つまみ簪を見る目も変わっていくと思います。品物の善し悪し、職人が手をかけて作っているのだということも分かっていただけるのかなと」。
 職人が10人前後という現状にみるように、つまみ簪は日本人の日常から遠い存在になりつつあります。七五三、成人式、結婚式、お正月といった和装のハレの場が、その主な使用場面。目に触れる機会が少なくなってしまったつまみ簪の魅力を、少しでも多くの人に伝えていきたいという思いから、石田さんは博物館や体験教室といった場作りにも力を注いでいらっしゃいます。

デザインから携わり、
日本人の美意識を形に。

 「簪、髪飾りは国の東西を問わずあるもの。金属のものや木でできたもの、いろいろありますが、つまみ簪に関して言えば日本にしかないものです」。
 モチーフも季節の花や鳥などが多く、日本人の自然観や美意識が映し出される工芸品と言えます。石田さんの作成したつまみ簪をいくつか見せていただくと、その美しさ繊細さに思わずため息が出ます。桜のブーケ、凛と咲いた一輪の牡丹花、梅の枝にとまった鶯、弧を描き舞う鶴。眺めていると、この簪をつけるときの女性の昂揚感がこちらにも伝わってくるようです。古典的な意匠に混じって、“西瓜と蚊取り線香”の現代的な意匠の簪も。発想、そしてつまみ細工の表現力の広さに驚かされます。
 「毎年、春頃に新作を作るのですが、見本をつくる際にはデザイン画などは描かずに頭の中のイメージを直接形にしていきます。作ってみてイメージと違ったところをまた作りながら修正していきます」。
つまみ簪は、多くの伝統工芸のように分業制で作られるのではなく、布を染めるところからすべて一人で作ります。中でもこのデザインを考えるのが大変だと石田さんはおっしゃいます。

大正から平成へ。
変わる時代には変化で応える。

 大正時代に福島県から上京して、つまみ簪職人の親方に弟子入りしたお祖父さまから数え、石田さんは三代目。お祖父さまの時代といまでは、環境は大きく変化しています。和装が日常だった大正時代から、高度経済成長期を経て装いは一気に洋装へ。つまみ簪の需要が激減する中で、問屋さんを介した流通のあり方にも変化が起こります。和装小物のメーカーへ直接納める、あるいは百貨店の売り場で直接販売する。またホームページなどでの発信をキャッチしたお客様からのオーダーメイドの依頼、と違う形が出てきています。問屋さんを介した流通だとなかなか伝わらなかった“ニーズ”は、お客様との距離が近づいた分、キャッチしやすくなったようです。
 「和装ブームで30代、40代の女性がオリジナルのものを注文されることが増えてきました。もともと若い方向けの商品が多いので、あえて注文で自分に合うものをとお考えになるようですね」。
 日本人らしさへの回帰トレンドの中で、つまみ簪にもまだまだ市場拡大のチャンスがあるのかもしれません。

基本を疎かにしない。
誠実さがつないできた伝統。

 最初に、つまみ簪を見ることのできる代表的風景として七五三を挙げましたが、実は七五三の時に小さなつまみ簪をつける、という習慣は昭和40年代以降にできあがったものなのだそうです。
 「それより以前は、小さな子につまみ簪をつけるという習慣はあまりなかったですね。急激な洋装化でつまみ簪が売れなくなり、このままでは無くなってしまうという危機感のなかで問屋、つまみ簪職人が協力して小さな簪を発表し、何年かして七五三のつまみ簪が一般的になったのです」。
 七五三の需要をつくりだしたように、つまみ簪は和装ブームに乗る30代、40代の女性へのさらなる需要をつくりだすかもしれません。また簪に限らず、つまみ細工はその愛らしさからか、「コサージュやバックなどにつけるチャームにしたらどうだろう」と、現代生活に添う新しい商品誕生への想像力をかき立てます。
 さまざまな可能性をうちに秘めたつまみ簪。石田さんに、つまみ簪づくりで大事にしていることは?とうかがうと「基本を疎かにせず手間をかけ、ていねいにつくること」と。日本人の美意識を伝承するバトンのように江戸の時代から受け継がれてきた、つまみ簪。これからも形を変えながら、人々に愛され続けていくだろうと感じさせるその背景には、やはり誠実なものづくりを何よりも大切にする職人の姿がありました。

つまみ簪づくりの
工程を一部ご紹介。

 つまみ簪づくりの工程を見せていただきました。石田さんの工房では、絹布を染めるところから手がけていらっしゃいますが、「染色」の工程は主に2月、3月に行うとのこと。染色した絹布を丸包丁を使って尺貫法の七分(約21ミリ)、八分(約24ミリ)などの正方形に裁断する「きれ断ち」の工程以降を見せていただきました。