求道者たち vol.30
江戸押絵羽子板 2015/11/30

人々の幸せを願い貫く
父子二代の羽子板作り。

羽子板とは、
幸せ映す縁起物。

羽子板職人・西山鴻月(にしやま こうげつ) /1962年、初代・西山鴻月の長男として生まれる。高校卒業後、押絵師・桜井秋山氏に入門。その後、父・西山鴻月に師事。2014年11月「鴻月」を二代目として継承、現在に至る。

 羽子板と聞いて多くの人の頭に浮かぶのは、お正月に羽根つきをする子どもたちの姿ではないでしょうか。幼児が流行病などにかからないようにという“おまじない”から転じ、無病息災を願って行われてきた羽根つき。いわれを知らないと羽子板は昔からの“遊びの道具”と理解されてしまうかもしれません。しかし全国各地には今でも、女の子が生まれた家で初めてのお正月に健やかな成長を願って羽子板を飾るという慣習が残っています。羽子板は、人々の幸せへの願いを映す縁起物なのです。
 「江戸押絵羽子板」は、このお目出度い羽子板に“歌舞伎”というテーマと“押絵”という技法が加わった、江戸ならではの羽子板。1985年には、東京都の伝統工芸品としても指定を受けています。江戸押絵羽子板づくりにかける思いとその魅力について、羽子板職人の二代目・西山鴻月(にしやま こうげつ)こと西山和宏さんを訪ね、お話しをうかがいました。

一家で完成させる、
珍しいスタイル。

 西山さんの工房があるのは、下町の風情が残る墨田区向島。工房の1階は店舗になっていて、一角に設けられた展示スペースでは貴重な昔の羽子板などを見学することもできます。2階の一室にある工房には、時代がかった二つの作業机が置かれています。一つは江戸押絵羽子板の「面相師」、西山さんのお父様でもある初代・西山鴻月の机。そしてもう一つは「押絵師」としての西山和宏さんご自身の机。父子ふたり、30数年に亘ってここで机を並べ、江戸押絵羽子板を製作してきました。90過ぎまで羽子板づくりに携わっていたお父様が、93歳で他界したのが昨年2014年のこと。10年ほど前から面相も手がけてきた西山さんは、いま二つの机を行ったり来たりしながら、「面相師」と「押絵師」の両役をこなしています。
 「押絵羽子板は、顔を描く専門の『面相師』と身体を専門につくる『押絵師』という二つの仕事に分かれています。ですから顔を描く人は押絵を誰かに作ってもらう、身体を作っている人は顔を誰かに描いてもらう、という共同作業で一本の羽子板ができるんです。一家で一本の羽子板を完成させるというのをもう30数年やっていたんですが、父が他界し、いまは私一人で面相と押絵を行っています。これはとても稀なことなんです」。
 父は羽子板を作るために生まれてきたような人、という西山さん。その偉大な父、鴻月の名前を継ぎ、さらに面相と押絵の両役をこなすという大仕事に、西山さんは向き合っています。

技ではなく、
生き方の継承。

 お話をうかがっていると、父の偉大な職人技を継承する、ということが西山さんの最終の目標ではないようです。
 「晩年、よく父も言っていたんですが、『職人は職業にあらず、職人という生き方だ』と」。戦後の混乱期にあっても、羽子板職人としての生き方を貫き通した初代・鴻月。職人技だけではない、尊敬すべき生き様がそこにはあります。「もう78年も続けてきたので、なかなか父を越えるとか、自分独自のものを築くという世界ではないですね。父は羽子板をつくるために生まれてきた、くらいの人間。私はそうではないので、努力しないといけない。向上心を持って常に父に挑戦していく。挑戦しなければならない。どこまでできるか分からないけど、やっていかないといけないので。それだけで頭がいっぱいです」。  たとえば、と見せてくださったのがお客様に宛てた手紙。手漉き和紙の巻紙に、美しい墨跡と華を添える挿絵が配された、一幅のお軸のような手紙です。
 「こういうものを、さらさらっと描いてしまう。文章も書けて本も出している。父には、羽子板屋の枠を超えているようなところがあるんですね」。良いものを作るためにどうすべきかを常に考え、それを手にしてくれるお客様に誠心誠意向き合う。1日24時間、1年365日がそれに費やされている。それが、職人という生き方。西山さんも、それを目指しています。
 それでは、そこまで情熱を注がせる江戸押絵羽子板とは、西山さんにとってどういうものなのでしょうか。

羽子板職人の
喜びとは何か。

 西山さんは羽子板職人になりたての時に、貴重な体験をしたと言います。ある百貨店で実演販売をしていた時のこと。まだ職人としてはつたないけれども一生懸命に羽子板作りに取り組み、お客様に対応する西山さんの様子を見たあるお客様が「孫はゼロ歳児なので我々の言葉はまだわからないけど、我々の願いが羽子板を通して語りかけてくれるような気がしたので、この羽子板に決めました」と言ってくださったのだそうです。この時の体験が、西山さんの羽子板作りの“背骨”になっています。
 だからこそ西山さんは、こう言います。「『美しい出来映えだね』『あの役者にそっくりだね』と羽子板を褒めてもらったり、愛でてもらったりすることも嬉しいけれども、作る楽しみというよりも、どのくらいできるかは分からないですが、私がその方に何を与えられるかの方が大事」。
 「女の子の無病息災を願って贈られる羽子板。お父さん、お母さん、あるいはおじいちゃん、おばあちゃんが私の作った羽子板にその願いを託しているわけです。お正月に遠方から家族が集まり『今年もみんないい一年であるように』と願う。そんなご家族の風景の中に、私の作った羽子板が飾られているというのが最高の喜びなんです」。
 あと22年で、西山鴻月という名は100年続いたことになります。その日まで、初代・鴻月の生き方を継承するための西山さんの挑戦は続いていきます。

独特の美を
作り出す工程。

 全国にある羽子板とは違う「押絵」が表面を飾る「江戸押絵羽子板」。その工程を簡単に写真でご説明しましょう。