求道者たち vol.29
江戸木版画_彫師 2015/10/2

根気、緻密な仕事で、
絵師のイメージに命を吹き込む彫師。

代々摺師の家から、
彫師になって40年。

彫師・関岡裕介(せきおか ゆうすけ) /1957年 東京生まれ。高校卒業後、四代目・大倉半兵衛に師事。2013年、摺師であった祖父・父の号「扇令」を三代目として襲名。同年、荒川区登録無形文化財保持者に認定。関岡彫裕木版画工房、主人。

 江戸木版画は、「絵師」、「彫師」、「摺師」の分業制のもとつくられます。「彫師」の仕事は、絵師が描く下絵を版木(はんぎ)に彫っていくこと。彫師がどんな線を彫るかで、木版画の仕上がりはまったく変わると言われており、とても重要な役割を担っています。関岡裕介さんは、この道に入って40年。これまで3人の彫師も育ててきたベテランの彫師です。しかし、関岡家は代々、摺師の家系。祖父、父が名人と称された摺師でありながらお父様に「彫師になりなさい」と言われた時には、正直驚いたそうです。入門のいきさつ、そして彫師の仕事のなかみをうかがってきました。

江戸期の隆盛。
そして現状。

 そもそも木版画が庶民の間に普及しはじめたのは、菱川師宣が浮世絵を制作した江戸時代のこと。明和2年(1765年)、鈴木春信によって多色刷りの「錦絵」が開発されると、色鮮やかな木版画の人気は、さらに高まります。歌舞伎役者や花魁、美しい町娘などの木版画は、今でいえばアイドルのブロマイド。全国の名所風景を現した木版画は、今でいえば旅行ガイドといったところでしょうか。テレビも雑誌もインターネットもない時代に、どれだけ木版画が江戸庶民の心をつかんだかは想像に難くありません。このように隆盛を極めた木版画ですから、当時は「絵師」、「彫師」、「摺師」もたくさんいました。しかし、明治、大正、昭和と時代が移ると、木版は機械印刷へとってかわり、職人の数も激減していきます。それでも昭和の初めは3000人規模でいたという職人の数は、現在、摺師が50名ほど、彫師が10名ほどになってしまっています。関岡さんが「彫師になりなさい」と摺師のお父様に言われたのも、江戸木版画の歴史をつないでいくために必要なことだったのです。

昔ながらの弟子入り。
そして育てた3人の弟子。

 高校を卒業した19歳のとき、関岡さんは彫師・四代目大蔵半兵衛のもとに弟子入りします。親方宅は実家から道を隔ててすぐの場所にありましたが、住み込みでの弟子入りでした。月曜日から土曜日まで親方宅で修行し、土曜の夜に実家へ帰り、月曜日にまた親方宅へという生活を7年間続けます。
 「2階の仕事場が寝床なので、朝起きると布団をあげて仕事場、階段の掃除をするところからはじまる修行でした」。いわゆる、親方と寝食を共にする昔ながらの弟子入り修行のスタイルです。「厳しい親方だった」そうで、教え方も当時の当たり前、「見て盗め」というタイプ。親方の厳しさというか、彫師の道の厳しさでしょうが、兄弟子の半数は辞めていったと言います。
 関岡さん自身がこれまで育てたお弟子さんは3人。すべて女性だそうですが、全員が途中で辞めることなく独立していきました。「昔の親方は、どう教えていいかが分からなかった。また弟子も中学出たくらいの世間を知らない子。それから比べると我々は、どう教えたらいいかを心得ているし、弟子も理屈が分かる年齢の子。だからうちは5年で独立させています」。お弟子さん3人は、荒川区の弟子入り支援制度を使って育てたそうで、関岡さんも「あと1人、2人は育てたい」と言います。
 それでは彫師に求められる資質とは、どんなものなのでしょうか。

彫師の資質として、
いちばん大切なもの。

 「やっぱり、いいものを作ろうと努力することがいちばん大事。完璧な仕事は無理だけど、完璧主義に近いくらい自分の中のベストを出せるようにやらなくては駄目」。そう資質について語る関岡さんに、いい加減な性格だと駄目ですか、とうかがってみたところ即答で「ダメ」とのこと。このあと、実際に彫りの工程を見せていただくと、なるほどと納得させられました。さまざまな伝統工芸の職人技を取材してきましたが、木版画の彫師の仕事は、求められる「根気」と「緻密さ」が、かなりハイレベルです。
 次からは、彫師の仕事のなかみを少しご紹介しましょう。

根気と緻密さが、
なくては勤まらない。

 大きな窓のある工房で、葛飾北斎・富嶽三十六景の中から「神奈川沖浪裏」を彫るところを見せていただきました。小刀を使って関岡さんが筋彫りをしていきます。慎重に刃の向きを変えながら版木に刀の痕をつけていくのですが、10分、15分経っても1センチ四方の範囲を刀が出ることがないように見えます。どこを彫っているのか尋ねてみると「船にかけられたムシロ」とのこと。大胆な構図で有名な木版画ゆえに細部は見落とされがちですが、とても細かな描写がなされており、それを彫師の仕事が支えています。
 「たとえば役者絵の髪の毛は、肉筆画なら筆で一本の線を描けばいいけど、木版画の場合は一本の髪の毛の左右に刀を入れなくてはいけない。木版画は大変な手間がかかっているんです」。さらに関岡さんに話をうかがうと、現代の彫師は「色分解」の仕事もするのだと言います。

色分解も、
彫師の仕事。

 木版画は「線」と「面」で構成されています。刷りあがった木版画をよく見ると、絵が墨色の「線」で縁取られていることが分かりますが、この「線」を出すために彫られた版木が「墨板(すみいた)」です。多色刷りの場合は、色ごとに彫られた「色板(いろいた)」を使って色を摺っていくわけですが、この色板が「面」の版木です。さまざまな「色」を表現していく方法は、絵の具の混色のほか、この色板で摺り重ねていくことによっても行われます。たとえば下絵の中に、一箇所だけ紫色が小さく使われていた場合に、紫色の色板を一枚つくるのはコストも手間もかかり無駄なわけです。こういった場合に赤の色板と青の色板に紫色にしたい箇所も彫っておき、二つの色が摺り重なった時に紫色になるよう考えて色板をつくるのです。どうすればコストや手間を下げながら美しい物ができるか、という視点で下絵から色板を起こしていくのが「色分解」という作業で、これはかつて絵師が行っていた作業なのだそうです。
 「昔の絵師は、下絵を適当にしゅしゅっと描いていました。その下絵の線を彫師が彫りながら直し整えていく。こうしてできあがった主版(おもはん)を墨で摺ると校合(きょうごう)摺りができ、彫師はそれを絵師のところへ持って行く。すると絵師の頭の中には色のイメージができあがっていて、ここはこの色、ここは地つぶし、ここは吹き上げぼかし、と色分解を頭の中でしながら色板ごとの指示を書き込んでいくわけです。彫師はその指示書に従って、色板を彫っていました」。そういって見せてくださったのが、お父様が昭和50年代に現代の浮世絵として製作した歌舞伎・梶原平三の木版画。校合摺りに朱色で指示が書き込まれています。

浮世絵は、
現代を表現する。

 浮世絵と聞くと昔のものというイメージですが、関岡さんはそうではないと言います。
 「浮き世というのは現世、楽しい世ということなんですよ。今のことを描けば、平成の浮世絵。親父が作ったのは、昭和の浮世絵。親父は東海道五十三次とかに頼っちゃダメだという意気込みで製作したんですね」。
 そして現代の浮世絵として見せていただいたのが、ももいろクローバーZとの共演でも話題になったロックグループ「KISS」の木版画や、発売が予定されている「スターウォーズ」の木版画。それぞれ「接吻四人衆」、「星間大戦絵巻」と和式の題名がついているのも、遊び心を感じます。ほかにも、漫画とのコラボレーションでNARUTOの登場人物が「神奈川沖浪裏」で波乗りしているものも。こうした製作は、とても新鮮に目に映りますし、ともすれば「伝統を粛々と守っている」というイメージで見られがちな江戸木版画が、現代の人々にも刺激的な出版物なのだということを教えてくれます。
 江戸木版画を取り巻く環境は厳しくとも、楽しい世を表現できる可能性はまだまだあるようです。関岡さんをはじめ若いお弟子さんたちが、活躍する場は取り組み方次第で、もっともっと広がっていくのではないかと感じた取材でした。